仕事に明け暮れた20代の私(4)知情意すべてを消耗
合弁新会社に転籍して1年経ち、関係企業を呼んで「カイゼン発表会」も終了すると、ある程度仕事も落ち着いてきました
それでも時は1987年、日本社会全体がバブルに向かう途上にあり、景気が良いのか仕事は毎日忙しく体力を消耗する日々が続きました
(思えば20代・・・いつもカネがなかったなあ)
今と昔を比べてどちらが良いかとなれば、今が良いに決まってます
昔は人使いが荒いし、矛盾や理不尽がたくさんあり、仕事上で不愉快なことも多かったと思います
時間に追われる超多忙な仕事をしていて、出庫された(自動車の)マフラーを査照してそのマフラーを出荷台車に放り投げたところ(これは私が悪かったのですが)、上席の課長がそれを見ていて「帰れ!」と怒鳴ってきたので、言われた通りそのまま自宅に帰って数日出社しなかったことがあります
他の課長が心配して自宅に電話してきて、改心してその翌日から出社したことがありました
なんだか私も私で大人気なかったのですが、普段から私は真面目でポジティブだったし、上席の課長はあまり評判が芳しくなく良く思わない人も多かったためか、私に同情的な人も多くいました
しかし、しっかり意趣返しされたことが後で分かりました
しばらくして偶然にもその課長が作る社員評価シートを見てしまったのですが、私の評価を露骨にそしてしっかりと平均以下に査定していたのです
「俺に逆らったら容赦しねえ」とでも考えたのでしょう
この評価シートは定期昇給や賞与に係るものだったので、感情で動く小せえ男だな、などと思ったものです
この課長は、私をカイゼンのプロモーターに抜擢したり、部署内の要職に当てたりといろいろな機会を与えてくれたのは感謝に値するものでしたが、しかしその肝は「出来る」社員を使い倒して自分の評価を上げるという手法だったように思います
非常に権勢意欲の強い人で、新会社という新天地で自分より上の人間に取り入るのも上手く、実際に出世していきました
日頃から鬱屈する不満から社員旅行をボイコットしたことがありました
祝日を利用して二日間の旅行だったと思いますが、何人かの社員と社員旅行には行かないと宣言したのです
山ほどの入庫品、出庫品があって旅行なんかしてる場合じゃないだろ!というのもベースにあったのですが・・・
すると社員旅行は仕事である、旅行に参加しないのなら会社に出社して仕事をせよと命じられ、祝日に他のボイコット社員と倉庫内で仕事をしたことがありました
(今思い出すと変な話というか笑い話ですが、社員旅行の積立金は返してもらったような記憶があります)
仕事は体力を要しましたが、倉庫内には埃が舞い決して健康的ではなかったと思います
ある時私は風邪で高熱が出ていたのですがそのまま出社したことがあります
他の社員に「熱を測るとガックリするから測らない方が良いぞ」などと訳の分からない理屈を言われそのまま働いていました
配送トラックに積み切れなかったエアコン多数(ひとつ30キロあったかも)を別便の2トン車に積み込み、配達して下ろしたことがありました
作業しながら、目眩で地面が上下左右に揺れるような感覚で、汗が大量に流れ落ちました
帰社して今度は体温を測ると39.5度もあり、すぐ病院へ行き薬をもらいました
無茶苦茶な時代でしたが、うぶで明るく前向きで仕事や人間関係を算盤づくでは考えない好青年だった私は、仕事への情熱を常に再生産していたのでした