キックボクシング(1)青春時代の思い出
愛犬エルとの散歩にたまに使う道沿いにあったキックボクシングジム
少し以前に建物が取り壊され更地となり、賃貸マンション建築の看板が立てられていた
当時フィリピン人妻との間に幼稚園児くらいの女の子がいたあのケチな会長も、今はもう80歳に近いのかもしれない
20年くらい前に一度再会したが、施設にでも入居したのか?
教え方も上手くなかったし経済的にも良くはなかったと思う
実は、24歳から28歳になるまでの4年間、私はこのジムに通っていたのだ
会社の先輩に元キックボクシングのフェザー級新人王だった人がいて、自分もやってみたいとずっと思っていたのだ
忙しかった会社の仕事が落ち着いてきたので、ようやく通えるようになったので入会した
入会金1万、月謝も1万
東京のスポーツ専門店でパンチンググローブやバンデージ、トランクス等を買いそろえ、週に2~3回通った
練習内容は以下の通り
1.ウォーミングアップ
2.ロープ(縄跳び)4R
3.シャドーボクシング4R
4.(サンド)バッグ4R
5.(相手がいれば)マスボクシング(スパーリングの軽いヤツ)または首相撲
6.補強(腹筋やベンチプレス)
1Rはなぜか4分間で設定されていて自動的にゴングが打ち鳴らされ、4分トレーニングして1分インターバルと言うリズムで練習する
しかし、昼間の仕事を終えてこれだけやると結構フラフラになる
だから肉体的にはかなりシャープな身体つきだった(細マッチョ)
(178センチ、ライト級61.23Kg、普段は63Kg)
当時のキックボクシング業界はコミッションが乱立し定期的な興行が中々行われず試合の機会も殆ど無かった
ここのジムは「日本ムエタイ連盟」に属していた(聞いたこともない)
まだK-1が隆盛するずっと前のことだったのだ
それでもジムには昭和40年代から50年代にかけてキックボクシングブームだった時の諸先輩もたまに来ていて、話をする機会もあった
会長にあの沢村忠について聞くと「ジャンプ力が凄かった」と言う
あまりに試合の機会が無かったが、一度県民体育大会(国体の小さいヤツ)のアマチュアボクシングのライトウェルター級(63Kg)の部で千葉市代表として出場させてもらったことがある
(キックボクシングジムに通うただの会社員が市の代表として県体に出場できてしまったことに驚くが!)
当時、キックボクシングのジムに通いながら国際式ボクシングのジムにも並行して通った時期であり、難なく相手に勝つことができた
しかし、それからしばらくして「日本プロキックボクシング連盟」主催で後楽園ホールにて試合が組まれることになった
(続く)