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母の一周忌をおこなう

亡くなって一年後におこなう供養を一周忌と言うが、仏教では数えで表現するので二年後は三回忌となる


そのため、何年もすると年回供養の年を勘違いして一年遅れでおこなったりなんてことがあるのだが、そんなことは些末な話で、早かろうが遅れようが供養をすること自体に意味がある


年回供養と言うのは一つのきっかけであって、何時おこなうかは家族が家族の都合等をある程度斟酌しながら集まっておこなえば良いのである


一般的には、命日より先に供養を行い、その功徳をもって祥月命日を迎える故人により良い世界へ行ってもらおうと意図する場合が多い


家族、親族が集まって一度に二霊、三霊の供養をする場合があるが、そういう場合は早いほうの日付に合わせて行うのが基本だが、あまり厳格なものではない
実際には、間の日付を取ったり、下手すりゃ33回忌を3年早くおこなったりなど世間じゃよくあることだ


少し以前なら、コロナ感染が下火になる(だろう)夏場に集まろう、なんてこともあった


うちの母は昨年12月19日に亡くなったので、11月25日に皆が集まって父の自宅で供養をおこなった
(皆と言っても全部で5人だが)


肝心なのは、親族が集まって故人をしのび思いを馳せる時間を持つことである


そして七分獲一(しちぶんぎゃくいつ)という仏教の思想によれば、供養によって積まれた功徳の七分の六は供養をした者に返って来るという
(私はこの話が好きで弔問客相手によくしたものだ)


仏教思想はともかく、みなが集まり、読経中の30分間正座をしながら故人をしのび、そしてその後美味しい食事をする、というのは我々現世の人間の勤めだ


ちなみに読経は私が心得ており所作通りにおこなったが、坊さんの読経そのものに価値があるわけではなく、みなが集まって故人をしのぶことに意味がある


繰り返すが、〇〇回忌といった年回供養のスケジュールをきっかけに、親族が、集まれる人が集まって美味しいものを食べながら故人をしのぶ、それこそが供養なのだ

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