NEOのゆとりを楽しむ生活

株式投資、英語学習、グルメ、旅行、愛犬とのシニア生活

私の兄(1)身勝手な男

NEO

私は年子の二人兄弟の弟である
兄弟仲はあまり良くなく会話はほぼない


兄は大学を出て着物関連の会社(斜陽産業)に就職して全国を転勤で過ごした
30歳くらいで今の奥さんと結婚して2人の息子持ち(2人とも社会人)


あるとき兄は東京の会社に通うに当たり、単身で両親の実家に移り住み、私が独身時代に使っていた部屋に住み付いた(しかもタダで)


この家は私が少年時代に過ごした公営住宅ではなく、私が24歳のときに親と私が移り住んだ一戸建ての家だ
当時定年近い父が家を買うのに単独では住宅ローンを組めず、私と共有名義にして親子2世代ローンで買ったものだ
(私は24歳になって初めて自分の部屋が持てた)


結局、私は28歳で結婚するまで約4年この家に住んだのだが、私が出て行ったあとはこの家には両親だけで(飼い犬はいた)住んでいた


それが今から10数年前の2010年に兄(当時50歳くらい)が何故かひとりでその親元実家に移り住んできたのだ
都内に通うのに丁度よく、実家だから家賃を払わずに済む(←いや、絶対違うだろ!)とでも思ったのだ(何て甘ったれた根性だ


私が結婚前に住んでた頃の4年間は20代半ばの激務の時期(バブルに向かう真っ最中)で、月の手取りがせいぜい15万もあるかないかくらいの薄給だったが、それでも私は毎月5万円を実家に入れていた(母に手渡していた)


ところが50にもなる私の実兄は親元実家の一室に勝手に上がり込み、金を払わず、トイレや風呂やエアコン、電気や水道も使い放題、そのくせ両親を病院に連れて行くことも相談に乗ることも世話などする気は一切なく、私が使っていた部屋の私が使っていたベッド(20代の薄給なのに7万以上もした!)を使って、結局12年も住み付くことになったのだ


金も出さず、汗もかかず、気も使わずに!


もちろん一戸建て特有の近所づきあいなどするはずもない


初めの頃、私も「どうせ空いてる部屋だし、節約もできるだろうし、両親の近くにいれば何かの役には立つだろう」などと軽く考えていたのだった


ところが何年か見てると、どうも変だ


私も盆や正月に実家に行くときは手土産のひとつも買ったりするが、住まわせてもらっている兄本人が100円の金すら使っている様子を見たことがない
(兄嫁は盆や正月に来たときは菓子や近所で買った寿司などを持参していた)


盆や正月に皆が集まると、兄は実家が用意したもの、嫁が買ってきたもの、私が買ってきたものを普通に食うだけは食うのだった


他人に金を出させ、他人に汗をかかせ、気も使わずに平然と食ったり酒を飲んだりって
アンタ何様?


母が認知症になってからは、私は毎週仕事帰りに立ち寄ったものだ
途中のコンビニで甘いお菓子(母は甘党)や食料品、花、マスク不足時にはマスクなど持って行ったが、甘いお菓子を持参した時など母が「〇〇が帰ってきたら盗られちゃうから隠すんだ」といって戸棚にしまうこともあった


(続く)

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秋の温泉旅行に行く(川治温泉)

NEO

週末に鬼怒川の北にある川治温泉に行った
鬼怒川は何度も行ったことがあるが、湯西川と鬼怒川の中間に位置する川治温泉は初めてだ


うちには愛犬エルがいるのでどうしても犬を中心に考えることになる
ペット可のところで、できれば朝夜温泉(できれば大浴場)に入れるところを探していたところ見つかったのが川治温泉にあるホテルだったのだ


出発の前々日にスケジュールを作成し(これは私のいつもの務め)、時間に無駄なくしかし無理せず悠々と動いて現地を堪能するのが私のやり方


もちろんエルちゃんの大好きな散歩コースも忘れない


朝、5:30に家を出て即高速に乗り、外環道を経て東北道へ入り、最初のサービスエリア蓮田で朝食とエルの散歩


予定よりも早く到着してまずは30年ぶりの東武ワールドスクエアへ
都内の小学生らが英語での案内をするフィールドワークを実践中
私も協力して英語で話しかける


昼食は龍王峡のイワナ定食(妻はゆば定食)
そこからアップダウンの山道をエルちゃんとともに歩く
サスペンスドラマに出て来るような絶景でした


道の駅、湯西川の平家の里(落ち武者に興味はないが)に立ち寄った後ホテルへ


激安ホテルを選んだけど、実際はなかなか良かった
温泉も最高!

朝は5:30からホテル周辺をエルと散歩


そしてバイキング形式の朝食


二日目のスタートは瀬戸合峡を散策
吊り橋から見る景色が良かった


地元の名所をいくつか周り、昼食は十割蕎麦の大黒庵さんへ
驚きのボリュームの天ぷらが出てきて大満足


そして帰路へ


金曜日は株式市場を見てなかったけど、週明けマネーフォワードでチェックしたら結構減ってたね・・・

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母の介護生活(1)三重苦

NEO

私自身は2021年末に59歳1か月でFIREしたのである程度の時間の融通が利く
とは言え、老犬の朝夕の散歩とその後の手入れ、日中は市場のチェックと英語学習、週末にはひとりで住む実父の家に様子伺いに行っているので意外と忙しいのだ


昨年末には実母が亡くなった


ここ数年間、母はアルツハイマー系の認知症を患い、家事も家計も料理すらできなくなっていた
そのため数年前からちょくちょく様子を見に行っていたのだ


2か月に一度認知症専門医に連れて行き薬を処方してもらい、後期高齢の定期健診に連れて行ったり、イベントごとに食事や旅行に連れ出した


コロナワクチンの最初の接種予約の時は、早朝4時に病院の正面玄関まで行き、並んで受付してもらったりもした


親が可愛がって世話をしていた超高齢犬(雑種、享年24)が21年9月に亡くなると、変化のない閉塞的な生活だと認知症も進行しやすいだろうと、近くのデイサービスを週一で依頼
(こじんまりとした一戸建ての民家でのデイサービスだった)


ある時、そこを抜け出して近所を徘徊し警察に保護され、警察署まで迎えに行ったことがある
(自分がそこにいる環境があまり理解できてなかったのか?)


警察署から私の携帯に電話がありすぐ迎えに向かったのだが、「なぜちゃんと見ててくれなかったのか」と施設責任者を責めたりもしたが、振り返れば少人数で頑張ってくれてたと思う
その後、母が脳梗塞で入院生活に入り、改めてデイサービスの施設に挨拶に訪れ、短い間の御礼を申し上げた


21年12月に母は脳梗塞で倒れ深夜に緊急手術をしてから半身不随となり、また大腸機能障害も併発して、数か月の入院生活を経て昨年5月に特養へ入所となった


22年9月に2度目の脳梗塞手術
同年11月には大腸機能障害で再入院
同年12月にストーマ(人工肛門)手術
この頃には認知症もありコミュニケーションはほぼ難しくなっていた


最後の手術が負担だったのか術後数日して体調が急変、帰らぬ人となった(享年86)


昨年の1年間は、病院、特養の手続き等すべて私がおこなったが、中にはすぐに判断や対応しなければならないこともあり、常に気がかりな状況だった


他方、老齢の実父は健康とは言え90代、自宅内で体調を崩しているところを近所の人(朝のラジオ体操仲間で体操に来なかったので声をかけてみたとのこと)に発見され救急車を呼んだからと電話が来て慌てて向かったことも(幸い大事にはならなかった)


私の家と父の住む実家は車で30分程度


もし、私が働いていたらこれらのことに対応できなかったと思う


ところで、この父母の実家につい最近まで12年も住んでいた1歳上の実兄がいたのだが、まるで何もしない人間で、10年も前に母がある事件に巻き込まれて一か月以上の入院生活を余儀なくされたときも他人事で見て見ぬふりを貫き通したのだが、まさに金も払わず、汗もかかず、気も使わずで居候以下のダメ人間なのだ


母が脳梗塞で最初の入院をしたときに、この実兄(実は妻と子2人がいるが別居)を私が実家から追い出してやった


1年後の母の葬儀(22年12月)には姿も現さなかった


この件については改めて書くつもりだ

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少年時代の思い出(3)そろばん塾

NEO

小学校時代は取り柄のない普通の子だった


不良でもいじめっ子でもいじめられっ子なく、成績も普通、運動も大したことはなかったが足だけは速かった(ずっと運動会のリレーのクラス代表だった)


小学校低学年の頃、他の親と同じようにうちの親も子供たちに何か習い事をさせようと考え、隣町にある算盤教室に通わせたことがある


あまり面白いものではなかったが、ある時、今日は行きたくないと思った兄がサボろうと私に言ってきた


ちゃんと教室に行ったかどうか後で親に聞かれるので、そこで兄は私たちの自転車の位置を微妙にズラして行って来たように見せかけるアリバイ工作までした(昔から兄にはこういう悪知恵があった)


しかし、所詮は子供の底浅い悪知恵だ


或いは教室の先生から「最近来てませんよ」と連絡があったのかも知れない、当然親にバレて怒られた


もう50年以上も前の話だが月謝はひとり二千円か三千円くらいで、頑張って欲しいと送り出したのにやり切れなかったろう


兄よ、私はあんたから悪いことしか学んでない

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少年時代の思い出(2)親のお金で買い食い

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小学校に入ったばかりの頃、私は鍵っ子だった


父はしがない建築会社の会社員(給料がちゃんと支払われないと夫婦二人で深刻に話しているのを聞いたことがある)


母は近所のパート(電子機器の単純な組み立て作業)で学校から帰っても家には誰もいない(一つ上の兄はいたが)


多分、寂しかったのだと思う


私は学校から帰ると、母の買い物かごに入れていた財布から小銭や千円札をくすねては近所の駄菓子屋へ行って買い食いをするようになっていた


ある時それがバレて強く叱られた


しかし、叱られたほうも小1で分別もない
そもそも悪いことをしているという意識が全くなく家にあるお金で買い物に行った感覚なのだ
そのうちにまた財布からくすねて買い食いをするようになった


あるときは割と分かりやすい台所の引き出しに無造作に千円札を1枚置いてあったことがあって、私が盗るかどうか試されたことがあった(まさにトラップだった)


私はまんまと嵌められ、その千円札を手にしてやはり駄菓子屋へ向かった


こうした私の癖が治らないものだから、あるとき父親に強烈な折檻を受けた


私の顔の両頬は青く腫れ、翌日学校の先生に驚かれ「どうしたの?」と聞かれたときに「ひとりで縄跳びをしていて自分で当ててしまった」と嘘を付いた


今でも覚えている(小1の記憶)


しかし、以来、私の悪癖(本人は悪いという認識はない)は治まり、母の財布からお金をくすねるくせはなくなった

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