NEOのゆとりを楽しむ生活

株式投資、英語学習、グルメ、旅行、愛犬とのシニア生活

オンライン英会話累計22,000分(366時間)

相変わらずダラダラと続けている


1日25分、フィリピンを中心に世界の途上国のチューターたちと会話できるのは楽しいといえるが、惰性でやる限り英語能力の向上はないと思う


若いときのように、ふれあいにときめいたり、稼ぐために頑張るぞ、とか明確なイメージを持たないとやはりダメですね


まあヒマつぶしにはなるでしょう
私はしないけど、籠ってゲームをするよりはよほど健全だと思います



オーディブルで「ゼロから12か国語をマスターした私の最強の外国語習得法」を聴いたけど、いい意味でインスパイアされて、若いうちならどんどん試してみたくなる方法論が満載なんだけど、どうもそこまでの気力もわいてきません


以前営業をバリバリしてた時、「機を見て敏」という言葉を座右にしてましたが、リタイアして「~しなければならない」という義務感から解放されると、「機」というのがなくなるのです


現在私は、過去のハードワーキングのリハビリを兼ねて日々を過ごしていますので、内なる自分の声に向き合うのも良いのかなと思っています



別途、継続的にこなしているのが日本FP協会の「継続教育
私もCFPなので2年で30ポイント以上の学習が必要なのです
しかし、法改正や金融経済の新傾向を学べるので面白い


最近、週刊東洋経済年間購読を申し込んだけど、今から来るのが楽しみです

将来の年金受給について考えてみた

もう何度も書いてますが、私は49歳1か月で厚生年金を外れて国民年金被保険者となりました


会社を辞めると請求書が届きます
ひとつは住民税の請求、そして国民年金です


収入が無くなり貯蓄も無かった私は、区役所へ行って住民税の減免と国民年金(妻と私2人分)の免除を申請し、住民税は3割程度の減免、国民年金は全額免除が認められて非常に助かりました


しかし固定資産税自動車税のような「モノ」にかかる税金は減免してくれませんでした
当然ですね


※※※
収入も貯蓄もないことを笑うことなかれ
人生行路の荒波にいかに抗ってみせても個人の血尿混じる努力じゃどうにもならないことだってあるのです


程なく、経済生活を立て直した私は免除を受けた国民年金全額追納し、その後は厚生年金に加入することなく現在に至ります



さて、国民年金の被保険者となってしばらくして、将来の年金受給額について漠然と不安を感じるようになりました


サラリーマンキャリアの断絶は厚生年金の受給金額の低下を意味するからです


50歳を過ぎると「年金定期便」が郵送されてきて将来の受給見込額について知ることができますが、厚生年金基金加入企業に在籍していた場合、過去にはその支払い実績が反映されてない場合もあり、将来の受給金額を見て愕然とすることもあるので注意が必要です


年金ネットになってしばらくしてからそのような不具合はなくなったようですが、将来の年金受給額が気になる人は日本年金機構年金ネットをブックマークしてiDeCoNISAと同様に時折ログインして支払い実績や将来の受給見込額を確認するようにしましょう



今から10年ほど前の52歳だった私は、国民年金基金満額加入しました


満額というのは月68,000円(私の場合プランの組み合わせにより実際には67,615円)で、その掛け金はiDeCoと合算で月68,000円が限度額となりますが、国民年金基金の掛け金は全額社会保険料控除、iDeCoの場合は全額小規模企業共済掛金控除という違いはあるものの節税を狙うことができます


結果、65歳から国民年金基金を年36万円受給できる予定です


国民年金基金の強みは長生きリスクに対応できることですが、今思えばiDeCoに満額加入して、65歳からはそれを取り崩しながら公的年金を繰り下げたほうが良かったと思っています
しかし、それは結果論で10年前にはそうした発想もありませんでした


また、60歳の誕生日の1日前に区役所で付加年金を含む国民年金任意加入をして若い時の未納20か月分の支払い手続きをしてつい先日完納となりました
(年金、雇用保険等は法律上誕生日の1日前に1歳齢を重ねます)



さて、65歳からの年金受給予定(年額)は、
老齢基礎年金    820,200円
(年金ネットから)
老齢厚生年金 1,016,013円(年金ネットから)
国民年金基金    363,000円(80歳から321,400円に減額)
10年確定個人年金 650,000円(弱小保険会社だったため全く増えていない)



全部65歳から貰えば合計で2,849,213円となりますが、今のところ老齢基礎年金老齢厚生年金を2年程度繰り下げて67歳からの受給とすることで、1,836,213円/年→2,144,696円とするつもりです
(妻は6か月年上のため加給年金について考慮する必要はありません)


繰り下げるのは、会社員キャリアの断絶で払えなかった厚生年金を支払い続けていた場合の想定額にしたいという思惑からです(公務員等に比べるとまだ少ないと思いますが)


繰り下げた2年間は国民年金基金個人年金合わせて1,013,000円だけとなりますが、それで良いと思っています
国民年金基金個人年金にも繰り下げという概念はありますが話にならないレベルです)


67歳まで繰り下げた場合、受給を始めて12年で元を取りますから67歳+12年=79歳となります
平均まで生きれば良いのかなと



ちなみに60歳を過ぎても契約社員(厚生年金)を続ける妻の将来の受給見込額は、年1,253,830円です


企業年金や個人年金等はありませんが、私が支出して今も積み立てているiDeCoが200万近くありますので退職金として渡そうかと思っています
(いつまで働くかは本人次第ですが私はどちらでもいいと伝えてあります)


ところで今も健在の実父(今年95歳)の公的年金は年330万(企業年金含む)ですから、私と妻の二人がかりでようやく同じ金額です
(父は60歳受給可のところ働きながら繰り下げて受給しました)



年金は将来の生活の糧ですからしっかりチェックしますが、寿命が分からない以上いつから受給するかを損得計算だけで考えるのは不適当な気がします


ただ、若いうちから金融リテラシーを身につけて将来に備えるのは大切で、私の場合夫婦合わせての金額が金融庁のモデルケースよりも少し多かったのには安心しました


このブログを若い方が見るケースは少ないと思いますが、私の経験で言うと、50歳くらいからでも将来に備えることも、経済的により豊かさを求めることも十分に可能だということをお伝えしたい


※気になる将来の年金受給や経済生活について少しでもお役に立てればと詳細に記載しました


繰り上げ、繰り下げのメリットやデメリット、年金を増やすテクニック、もしくは悪手についてはいずれまた書いてみたいと思います

夫がリタイアして自宅にいたら邪魔なのか?

私のことではありません


世間一般に、「退職した夫がずっと自宅にいて鬱陶しい」みたいな妻の意見があって私的に違和感があるのです



家庭内の事情はそれぞれ、数十年の夫婦関係を経ての環境変化はいろいろな感情が出てくるのは理解します
ただ、リタイアした夫が再就職をしなかった場合、夫の側も観察眼が時とともに磨かれます


妻側の負の感情はブーメランとなることがありますのでご注意を・・・



先日、住んでいるマンションの管理会社の支店長と夕食に行ってきました
経緯については省きますが、報告があるということだったので駅前で待ち合わせをして行きつけの寿司屋へ招いたのです


カウンターに座り互いにざっくばらんな話をしましたが、リタイアして2年半日々ゆったり過ごしているという私の話に、「奥さんが嫌がりませんか?」と反応してきたことに私は衝撃を受けたのです


今までそんな空気を感じたこともなければ、言われたことも無かったので、すぐさま「そういうステレオタイプの考えは良くないよ」と返しました


言った本人はバツイチの58歳で二人の子を育ててきた苦労人なので、一般論で言ったのだろうと想像しますが、言われた私としてはあまり気分の良い言葉ではありませんでした



私は59歳1か月でリタイアしましたが、それまでの職業人生は、今では労働基準監督署に指導される程のハードな仕事でした
長時間、ノルマ、パワハラなんて日常茶飯事
(こうした労働環境を肯定しているわけではありません)


週休二日なんて経験したこともありません
土祝はほぼ出勤、日曜も出ること多数、仕事が面白いと感じることも多かったけど、会社に翻弄される職業人生でした


49歳1か月で会社に見切りを付けた後も仕事中心の生活で、盆も正月も仕事をしてましたし100連勤なんて当たり前


その間、妻娘旅行(私は行ったことがありませんが屋久島、伊勢、黒部峡谷その他多数)の旅行費用を出してあげたり、頻繁に外食に連れて行ったり、車を買ってやったり(妻と娘に1台ずつ)しています


そうしてようやくリタイアしたと思ったら家庭内で白い目で見られた、なんてことだったらあまりに悲しいものがありますね



私の妻は同い年の62歳ですがまだ契約社員で働いていて、同じ職場はもう10年になります
居心地も良いようで有給休暇もある程度自由にしっかりと取得できています


年収は税込みで250万程度ですが私は妻の稼ぎに手を付けたことはありません
妻名義の保険、税金も含めて生活費は今も私がすべて出しており、別途食費として毎月5万円を現金で渡しています
(妻がいつまで働くつもりか分かりませんが、辞めたら毎月15万渡すと伝えてあります)


また毎週末はエルを連れて近場に一緒に出掛けているし、毎月1回は1泊旅行も行ってるし、外食に行くこともしょっちゅうです


経済がすべてではないと分かっていますが、最低限やるべきことはしているつもりです


ただ長年一緒に住んでいても波長やペースというのはあるでしょうから感情論としては分かります
しかしそれは実はお互いさまということなのだと思います


何故なら私にも妻の〇〇なところが好きになれない、というのがありますから

2024年8月末の金融資産状況




株式市場激動の8月が終わりましたが、元々8月は大きな変動が発生しやすいイメージがありますね


暴落があっても知らんぷりすれば良いのですが、長期投資と違って他者を出し抜いて儲けを狙うタイミング投資だとストレスが半端ない


特に日本株は無為の30年を背負ってますから「またか?」もしくは「まさか?」というネガティブな感情が入ってくるのが厄介です


ただ最近の傾向として大きな下落の後の反発も以前に比べてよりスピーディーになってきたと感じます


1929年のグレートデプレションや2008年のリーマンショックのような長期低迷は今後はないかも知れません


暴落はチャンスと多くの投資家が知ってしまっているからです


思えば、コロナショック時に私は嬉々として買い向かいましたが、当時はリスク資産のウェートが少なかったのが幸いしたと考えています


何故なら、リスク資産のウェートが増えると、例えば今回の日本版ブラックマンデーで積極的に買い向かうのは心理的にどうしても抵抗が出てしまうからです


そういう意味で、フルインベストメントなんて論外、自分のリスク許容度を考えて投資をしましょう



資産状況


先月に続き金融資産は減少しています


株式現物  ▲10,430,216円(前月比)※主に日本株中心
投資信託    ▲1,043,911円(前月比)※オルカン、S&P500等
安全資産    +2,993,595円(前月比)※現金、日本国債等   


金融資産合計 前月末比   ▲8,480,532円
       前年末比 +27,139,330円
      リタイア後 +71,733,558円


株式現物、投信、安全資産それぞれの増減を記載してますが、暴落時に100万単位で処分したり買い足したりしているため、市場の変動要因というよりただの参考値です
ポイントは金融資産合計が増加しているか減少しているかです


増減表示を「額」か「率」かという議論は些末な話で、個人的には「額」で表現したほうが伝わりやすいように思います
尚、金額を明示すること自体に「品」があるとかないとかというのも意味のない話だと思っています


労働収入がない中、普通に消費生活をしていています
8月末金融資産の前月末比は848万円減少となっていますが、そのすべてが市場の変動によるものではなく、40~50万は消費によるものです


個別株は、日本ハム、サイゼリヤ、テンアライド、すかいらーくHD、スカラ、SUMCOを処分
食品株はすべてそれなりの利益となりました
優待にあまり魅力を感じなかったし売ることそのものは既定路線でした
スカラは損切(大した額ではありません)、SUMCOはとんとんで処分


投信はJリートと国内債券を処分
Jリートはその高配当を言う人も多くいますが基準価格がとにかく上がらない
国内債券も同様
見込みがないと判断し全て処分しました


現在、個別株を34銘柄、ETFを4銘柄、投資信託を14ファンド保有
ETFと投資信託はすべてパッシブ運用です


NISAの成長投資枠は8月半ばまでにオルカンで全て埋めました
つみたて投資枠は毎月1日クレカで10万円設定し買い付けてます
年初にまとめて買って残りの11か月を100円ずつ買う設定の仕方は知ってますが面倒なので地味に毎月10万円買ってます




収支


圧倒的に外食の支出が大きい
旅行と外食で毎月20~30万くらい支出していると思いますが、細かい計算はしていません
前述のような全体の増減をしっかり把握するようにしています


今日9月2日に花王(600株)から36,337円、INPEX(900株)から30,839円の入金がありました
現在保有する株式配当は税込み年294万の予定です




市況


日本の構造的な貿易赤字が続いている現状では大きく円高ドル安に振れることは当面難しく、日米金利差縮小と購買力平価理論を加味しても、向こう1年間の為替水準は130円~145円程度になるのではないか?


すなわち日本のインフレがもっと進行する可能性はあるでしょう


現状為替に連動して日本の株価が動いているが、将来は「円高でも日本株高」を期待をもって予想したい



総括


相場も人生もピークを基準にすることなかれ
毎月資産が増えていると、未来永劫それが続くものと勘違いを起こします


私の30代の会社員人生はまさに昇龍でした
そうした状況が40歳になっても50歳になってもずっと続くものだと私は考えていました


しかし、人生は上り坂もあれば下り坂もあり、ときには良くも悪くも「まさか」もあります
株式市場も何だか似てますね


ただ人生の低迷期には、逃げることのできないときもあるでしょうが、株式市場の場合は鈍感力をもってほったらかせば良いだけなので、人生行路に比べればまだ楽です


金融資産は7月5日頃のピークに比べれば2,000万ほど減ってますが、昨年末に比べれば想定以上に増えているのは有難い話です


ちなみに私はこれまで贈与、相続、当選のような完全他力で自己の資産が増えたという経験はありません
小便に血が混じるような自助努力と運によって現在に至ったと認識しています

世に倦む日々だったころ


私が会社員を辞めたのは49歳1か月のときでした



その2年ほど前に経営の悪化した証券会社を解体して、時のブームに便乗して太陽光発電とリフォームの会社を新しく作ったのですが、経営者がダメだと何をやってもダメの典型でした


経営能力のない経営者のもとでは何をやってもダメなわけで、社員は大変な気苦労を背負わされていたということです


この頃の私は、景気の良し悪しに左右されない公務員らを妬ましく思ったものでした


当時の私は新自由主義成果主義の会社でやってきたため、信賞必罰優勝劣敗数字は人格等の思想が身に染み付いており、良くも悪くも自己責任なのだから頑張るしかないといつも自分に言い聞かせていた反面、長く続く気の滅入るような状況に自分が壊れていくのではないかという気分になることもしばしばでした


会社は上場会社でしたが、株式上場時には私は大いに貢献しましたが、無能経営者は社員を犠牲にしながら、最後にはMBOで上場廃止にして自らの保身を図りました




私は社内では営業で、今までの金融営業と違い全く畑違いの慣れない請負営業であったけど、第2種電気工事士インテリアコーディネーターの資格も短期間で取得し、得意の営業力で新規顧客開拓に奔走していました


特に、東日本大震災の直後から太陽光発電の引き合いが凄まじく、東は千葉県九十九里の岬町から西は東京都八王子市に至るまで、半年間で50件も売り歩いたものです


今思えば、私は良客に恵まれ、人間的にも経済的にも良質な顧客が多かったと思います


しかし、それでも会社は何故か赤字で人員削減の空気が非常に強く、それが私にとって大変なストレスでありました


東日本大震災のあった年の年末、すでに冬休みに入ってましたが私は休みを返上して顧客と契約を交わし、翌日その契約書を渡しながら社長と話したのを覚えています


私が辞めたのは自主的な判断でしたが、会社と交渉して「会社都合」という形にしてもらいました




無計画に会社を辞めたことで将来の生活に不安を覚えながらも、早々に失業手当の手続きをしたことで経済生活復活の些細な糧にすることができたのは良かったと思います


その後、失業保険の給付を受けながらハローワークの勧める職業訓練校に通いました


証券会社をリストラされた際、将来に備えて日商簿記2級は取得済みでしたが、このときは将来の起業も見据えて、また復習も兼ねて簿記の講座を選びました


生徒は10名程度でしたが、実際に簿記FP等の資格を有するのは私ひとりだけでした



またこの頃並行して大型2種免許を取りに自動車学校へも通いました


45万円ほどもかかり当時の私にとってはあまりに大きく痛い出費でしたが、無職という聞き心地の悪い耐え難い響きから逃げるためには、自分のスケジュールを埋める必要があったのです


予定を埋めることで精神的に潰れそうになるのを上手く避けることができました
人は落ち込まないためにはヒマにならない工夫が必要なのです



もっともこの頃は、次に(仕事を)何にしようか具体的かつ明確なものがなく、かと言ってゆっくりするなどという余裕などあろうはずもなく、心の中は焦燥で溢れていました


また、ひとり娘は高校3年で1年後には大学受験(理系)を控えており、金銭的にも精神的にも難しい時期でした


結果的には現役で筑波大学に合格してくれたのは有難かったのですが、入学とともに自宅を離れ、その後大学院を出るまでの6年間で学費、住居費、生活費、国民年金等で200万×6年で総額1,200万以上のお金がかかることになりました


しかし当時は数年も先のことを考える余裕などなく、どうやって今年乗り切るかというだけで精いっぱいでした



年金受給のことを書こうと思ってましたが、過去を思い出した途端色々な記憶がよみがえってしまいました