
もう30年も前の話です。
娘が生まれ、産休・育休を取っていた妻は、娘が7か月になった頃に職場に復帰しました。
当時は今より、育児に対する理解も乏しく、社内で妻は辛いことが多かったと思います。
現在と違ってはるかに法制度も未成熟な社会でした。
今以上に保育所の件数が少なく、空き状況も厳しい時代でした。
今の私の住所地は駅近ではありますが、徒歩圏に6~7か所もあり、朝夕には若いお母さん・お父さんが子供を連れて歩く姿が当たり前になってきました。
当時に比べると、法制度も件数も、そして人々の意識も整備され、かなりマシな状況になったと思います。
30年前ですが色々な意味でハードルは高かったものの、運よく公立保育所の空きに当選し、0歳の娘を預けることができました。
2馬力で働いていた私たちですが、娘が生まれ1馬力となった途端、経済的に厳しさを感じた私は転職を意識し始めた頃でした。
ある朝、娘を預けてからしばらくして振り返ると、娘がみかん箱の中に入れられていたのを見て、とても不憫に思い、自責の念すら感じたものです。
(社会情勢の変化もあり、今の人はそういう感情にはならないのかも知れませんが)
当時の保育料は、3歳までの乳児はひとり月58,000円で延長保育は別。
世帯収入で計算され、二人合わせた年収が約800万だったので最高位の金額でした。
担税力評価で、税金を払ってる人ほど保育料が高くなるシステム。
黒塗りの車で送り迎えをしながら保育料はタダ同然な人(ヤクザか自営業者)もいて(クロヨン)、世の中の理不尽に不快感もあった頃です。
ちなみに0歳児の児童手当は当時月5,000円でした。
保育所は、あまり交通の便の良いところにあったわけではなかったので、近くに駐車場を借り、妻が車で送った後は車を止めて、公共交通機関で会社に向かい、夜はその逆でお迎えに行くという生活を、娘が小学校に上がるまで続けました。
私は、娘が10カ月のときに転職して、朝早くから夜遅くまで拘束されるようになりましたが、上手く近くで商談が取れたときは、商談後直帰する旨を上席者に連絡をしてから、娘を迎えに行ったことが数回ありましたが、それは自分にとって至福の時間でした。
妻が運転した車のバッテリーが上がってエンジンがかからなくなったときに連絡があって、その頃私は既に千葉支店長になっていた時で、社員のひとりを捕まえて社用車で現地へ行くよう依頼したことがありました。
バッテリーの充電ケーブルをマイカーに積んでいたのです。

ある時、私が預けに行ったときですから、まだ娘が0歳のときだったかも知れません。
着替えやオムツ、連絡帳等を渡したときに、対応した保母(熟練のオバサン、責任者?)が私に早口でこう言ったのです。
「子供の服に、つなぎは一切やめてもらえますか!上と下はセパレートにしてください。
着替えをさせてるとこちらも気が狂いそうになりますから!」
いきなりの言葉に私は反応できませんでした。
何が言いたかったのかもその時は分かりませんでした。
恐らく、追われて仕事をする忙しい日々で、オムツ交換や着替えの時間を少しでも短縮したいという意味だったのでしょう。
しかし娘のよく着ていたつなぎ服は、股の間がホック式で簡単にオムツ交換ができるものだったので、この人が言った意味が今も理解できません。
公立保育所でしたが、好きでなった保母という仕事でしょう。多分。
でも、現場で最愛の子どもを預けに来た親に向かって「気が狂いそうになりますから!」なんて吐き捨てる人は、保母の能力も資格も無かったのではないか?
このひとは今はもう70代か80歳前後になっているんでしょうけど、自分の吐いた暴言を覚えてるんでしょうか?(忘れてるだろうねえ怒)
私は、30年たった今でも、衝撃的な言葉を放ったあなたの言葉を覚えてますよ。