遺骨、墓の無縁は避けよう
下野新聞の記事ですが、何も栃木に限った話ではありません
全国的に急増しているのです
記事は引き取り手のいない遺骨についてのものですが、そうした無縁遺骨は自治体が地元の寺院、NPO等に依頼して、しばし保管後最終的には無縁墓や合葬墓へ散骨することになります
しかし問題となるのは、無縁遺骨ばかりではなく無縁墓もあります
令和5年に公開された「墓地行政に関する調査 ー公営墓地における無縁墳墓を中心としてー」(総務省)によると公営の墓地・納骨堂で無縁墳墓等が発生しているのは58.2%とのこと
実に驚くべき数字です
さらに驚いたのは、無縁化している墓地の縁故者情報を把握できているのが20%未満の市町村が80.7%もあるということです
私も以前行政書士として職権を使い戸籍を辿ることで親族を把握する作業をおこなったことがありましたが、何とか親族までたどり着いたとしてもそこから先で苦労した経験があります
そもそも把握率が低いのは初動が遅かったか、あるいは個人情報保護法等法令上の制限によって一歩踏み込めなかったのではないかと推測します
行政上の文書では「無縁墳墓等」と表現されることが多く、何故「等」なのかと言うと、墓石、墓誌、外柵、カロート以外に納骨された遺骨(焼骨)も「無縁墳墓等」に含まれるからです
身寄りのない人が亡くなった場合、あるいは行旅死亡人(独居死含む)として死亡した場合、自治体や警察が戸籍を追って相続人等(縁故者含む)を探します
運良く相続人等が見つかり遺骨が引き渡されることはありますが、見つかっても引取りを拒絶されたり、そもそも見つからなかったということも大いにあります
そして仮に相続人等(遠縁の親族)に引き渡されても供養もされず事務的に無縁墓へ散骨されるケースも多いのです

下記の記事でも書きましたが、先祖代々で継がれていく「家墓」は埋葬の方法としては既に少数派となっています
その原因は、遡れば戦後の三代戸籍の禁止、家長制度の廃止にまで辿ります
その後、高度成長期時代に「イエ」を離れ「地縁」を離れて都会に移り住むという流れが拍車をかけました
さらに時代は進化し、少子高齢人口減少社会へと突き進みます
そして、「個」を中心とした自由でダイバーシティな社会が醸成されるにつれ、「個」が幅を利かせる時代となったのです
「個」の時代への進化は代々の継承を前提とする「家墓」のニーズを着実に減らし、墓仕舞いを加速させ墓が売れない石屋にとって冬の時代にしてしまいました
現在の墓地名義人(法的には祭祀主催者と言います)なら継承者がいるかいないかが分かりますから、生前に墓仕舞いして合葬墓(永代供養墓)へ改葬する方も多いでしょう
ところが実際にはお墓そのものがほったらかしにされて最後には無縁化してしまう事例が後を絶たないのです
墓が無縁化するということは、納骨された先祖の遺骨も無縁と化します
これは2つの意味で問題があります
1つは、墓地管理者が法令に基づき無縁墓を解体し遺骨を取り出し他の場所へ散骨することになるということ
私もやったことがありますが「無縁改葬公告」なるものを官報に出して墓所には立て看板を立てるのです
1年後もしくは2~3年後に、石材店に頼んで墓を取り壊し原状回復させるのに数十万かかりますが、更地となった墓所をまた売れば永代使用料が入るので霊園側が損するわけではないのです
そもそも官報なんて見る人がいるでしょうか?相続人や縁故者等の継承者がいても管理料すら払わない無関心な人たちですから立て看板があろうと関係ないし、墓参りそのものをしていないでしょう
このように経済的、精神的理由、その他さまざまな理由によってほったらかしにされてしまうケースも多いのです
2つには、宗教的に無縁が良しとされないということ
どの仏教寺院でも「施餓鬼会」(施食会)をすることがあると思いますが、施餓鬼会の目的は有縁無縁に関わらず亡霊に施しを与えて霊魂の供養をすることにあります(浄土真宗以外)
無縁となって浮遊しないようにするためです
私は、墓や遺骨の無縁化をなくすために活動していた時期がありました
家族を探したり、改葬の相談に乗ったり様々な事例を見てきました
(この事例研究をテーマにした論文で大学院を出たのですが)
本来、家族等が弔うべきところ様々な理由によって弔われず無縁となってしまうのはあまりに悲しいことです
経済的理由、精神的理由、継承者の問題、距離の問題等理由は様々ですが、生きているうちに墓の問題、自分の死後の問題を明確にしておきたいものです
家族と話す、遺言を残す、独り身であれば死後事務委任を利用して明確にするのが良い
それが生きている自分にとって安寧につながると思います
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。