NEOのゆとりを楽しむ生活

株式投資、英語学習、グルメ、旅行、愛犬とのシニア生活

怪我が多かった私の少年時代(1)

先日肩痛のリハビリで整形外科付属のリハビリ施設へ行った際に、過去の病歴や怪我などについて色々と聞かれた
今現在の痛みや病気について過去の事例を参考にこれからのリハビリ計画を立てていくというのは理解できる
数十年の時を経て、過去の病気や怪我が今の痛みに直接、間接にどれだけ影響があるのか判断するのは至難の業だと思うが、参考程度にはなるかも知れない


それで思い出したのだが、私の少年時代はとにかく怪我が多かった


小さいときはよく手首の関節が外れた(どこかへ家族で出かけようとしたら手首の関節が外れて出掛けられなくなったと母が嘆いたのを思い出す)、関節が外れても痛みはなく、ただ医師などに連れて行かないといけなかったのだと思うが、その前後の記憶はない


3歳くらいのとき一つ上の兄が観音開きの大箪笥の扉の上部につかまって開閉遊びをしていて、マネして自分もやってみたら手の指を挟み爪が丸ごとはがれた(今も大泣きしたのを覚えているが、親が不在だったのに爪がはがれるような怪我をして大丈夫だったのだろうか?帰宅した父親が箪笥扉の上部を触りながら「ここではがれたんだ」と話した記憶はある

同じく3歳くらいのとき近所の空き地でよく友達と遊んだものだが、あるとき釘の飛び出た建築の廃材を踏み付け、足の裏に突き刺してしまったことがある(この時も大泣き)


4歳のとき道を歩いていて後ろから来た車に轢かれ、しばらく入院したのを思い出す
今も鼻にその時の傷が残っている
道端から道路の真ん中の方へ急に私が飛び出してしまったものだから運転手も防ぎようがなかったと思う
後から聞くと、運転手はやくざ者で家ではライオンを飼っていて最後まで見舞いには来なかったそうだ(奥さんは来ていたらしい)
病室で母親の背中におんぶされバナナを食べた思い出がある(1回目の救急車と入院)


小学校に入る前、やっと買ってもらった自転車
兄や友達が自転車を乗り回して遊んでいたが6歳の私にはまだ自転車が無かったのだ
楽しそうなみんなの姿を見て悔しくて泣いている姿を見て親がついに買ってくれたのだ
乗っちゃ転び乗っちゃ転びしながらようやく一人乗りできるようになると楽しい移動手段となった
あるとき猛スピードで下り坂を走り、見通しの悪い交差点をそのまま通り過ぎようとしたら運悪く右方向から乗用車がやってきてぶつかり跳ね飛ばされてしまった
私は大泣きしていたが「急に出て来たもんだから・・・」と言う運転手の声は今でも耳に残っている
この時はその運転手が外科まで連れて行ってくれたんだが、手足の擦り傷でおさまったようだ


幼年時代の記憶に刷り込まれているのは、「なんとかしなきゃ(まずいことになる)」という原記憶である
これが胎教なのかどうかはわからないが、いつもそんな焦燥感に支配されていたような気がするのだ
(続く)

×

非ログインユーザーとして返信する