社会人駆け出しのころ(4)夜のアルバイト1
若い頃、女の子のいる夜のパブでアルバイトをしていました
実は、ある理由があって昼間の仕事を終えてから夜の店に入りバイトをしていたのです
女の子が10数名いる店で、私はホール担当、料理や酒を運んだり、お客から受け取ったカラオケのリクエストカードをもとにカラオケをセットして、イントロが始まるとお客を呼び出してマイクを渡す等の仕事をしていました
カラオケは第一興商で、既にレーザーディスクを1枚1枚挿入するタイプではなく、またリモコン操作でもなく、機械本体に曲番号を入力するものだったためホール係がいると都合が良かったのです
営業は深夜1時までで、閉店後たまに店の女の子を数人乗せて自宅に送ったりすることもありました
私も22~23歳で若かったので、女の子も同い年くらいか年上の方が多く、中にはシングルマザーで生活感を隠して働く人や店長の情婦になっている女性もいました
今思えば、当時夜の店で働く女性には、どこか陰のある人が多かったと思います
仕事、結婚、受験、人間関係、何かでドロップアウトしてその屈するものを隠して夜の世界に飛び込んできた人が多かった気がするのです
ただ、夜の世界の仕事は「お金」だったり、新しい「人間関係」だったり、自己実現の手段だったのでは?
店長は夜の世界に比べると「昼間の世界はあこぎで冷たい」などと言ってましたが、しかし私は彼のポジショントークだと思っていました
時は昭和60年ころで、プラザ合意を受けての急速な円高進行により景気が悪化したと言われていますが、実際には夜の街も含めて世の中はとても元気だったと思います
店にはお客が多く来店し、時には女の子の数が足りなくなることもありました
そこで私は、店がまだヒマな開店前後の時間(確か夜7時頃)に、繁華街に繰り出しては、街歩く若い女性たちに声をかけ、口説いてお店に連れて来るのでした
そうです、私は店公認のスカウトマンだったのです
私の目的は、店の中を見せ、気に入ればホステスとして仕事をしてもらうことでした
仕事をしていた1年の間に30人位は連れて来たでしょうか
こうした声掛けは月に数回程度だったので中々見事な「面接」人数だったと思います
ただ、実際に働いてくれたのはそのうちの2~3人でした
やはり夜の仕事はハードルが高かったのでしょう
それと働いたのは家庭環境が複雑な女の子ばかりだったと思います
ちなみに、この時期のバレンタインデーで貰ったチョコレートは全部で21個で最高記録です
もちろんすべてが義理チョコでしたが・・・