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世に倦む若き日々の思い出(2)

私が5歳の頃から19年間住んだ長屋の公営住宅には様々な住人がいた


うちは長屋の端っこだったが隣は市役所勤務の真面目そうな男の人とその母親で比較的マトモだったが、更にその隣に住んでいた何だか色気のある女の人は地元の小学校の校長先生と不倫し駆け落ちまでしてしまった


うちの裏手には個性強烈な意地悪婆さん(と表現するのがふさわしい感じの人だった)が息子家族と住んでいて、近所の同年代の婆さんらとつるんではいつも近所の人たちの噂話に口さがなかった


その体躯は小柄で小学3年の本人の孫よりも小さかったが、眼光は鋭く、強い性格で息子はいつも怯えておどおどしているように見えた


元麻雀屋で働いていたと言い、共産党の選挙カーが通るといつも手を振って応援していた




ある日の真昼間に、深夜の痴話喧嘩騒動を繰り返した在日朝鮮女とこの意地悪婆さんが取っ組み合いの喧嘩が勃発した


意地悪婆さんが深夜の痴話喧嘩をあげつらい朝鮮女を罵ったのが原因だった
朝鮮女は「この野郎」と叫び、婆さんに掴みかかったのだった


私は家の二階の窓からたまたま様子を見ていたのだが、互いに大怪我に至ることはなく最後は手を出した朝鮮女が意地悪婆さんに詫びを入れたようだった


そもそもその近隣では世代間ごとのグループが形成されていて、年代の近い者同士が仲良くグループを作っていた


婆さんは息子夫婦、孫二人と同居しており当時年齢は60歳くらいか?(今の60歳に比べるとずいぶん年寄り臭かったが)


在日朝鮮夫婦には小学生の子供が二人いて、深夜の喧嘩騒動を起こした割にはキムチ買収作戦が当たったからなのか、夫の女癖の悪さに同情されたためなのか、同世代の近隣女性の間にはうまく溶け込んでいた


他人の悪口に忙しい意地悪婆さんという共通の敵に対して同盟関係になっただけかもしれないが、自由奔放と言えば聞こえは良いが勝手気儘で傍若無人な朝鮮家族に近所の人たちは本音では不快感を持っていたのではないだろうか




私の家の隣に住んでいた役所勤めの男性の家は元々母親との二人暮らしだったが、その頃には結婚して元保母の妻と子供2人(幼稚園児)らと一緒に住んでいた


あるとき、近所の園児や児童ら同年代の子供を持つ親同士が集まって隣の家で夕食を食べていた
お酒も飲んだのであろう、朝鮮女は酔っぱらって庭先から役所勤め男性に向かって「〇〇さ~ん、愛してるよ~💛」と大声で繰り返し叫んでいた


当然隣に住む私の耳にも聞こえていたが、これも私には、いや多分周辺の人たちにとっては非日常的な衝撃シーンだった


そこには男性の奥さんもいたし、その小さな子供もいたし、自分の小学生の子供も目の前の家にいたにもかかわらず


そう、この朝鮮女はこういう奔放女で、年は40歳をすでに超え子供も二人いたが、露骨にこういう言葉を出すことを好んだ


実はその後、私も「デートしよう」と何度も繰り返し誘われて、私は嫌がって逃げ回っていたのを覚えている


(続く)

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