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世に倦む若き日々の思い出(1)

5歳の時に、私たち家族(父、母、兄、私)はある町の2DKの公営住宅に引っ越した
7~8世帯が続き住戸となっていて、コンクリート造の2階建ての長屋だった


一時期父の母親を引き取っていたが私が小4の頃に亡くなっている


結局19年も住むことになるのだが、その長屋の界隈には実に色々な種類の人々が住んでいた


そのとき私は20歳くらいだった


人生で一番楽しいときなどと言われるその頃に、私は高校を卒業はしたが大学へも行かず、周囲の誰とも会わず孤独で鬱屈として気の滅入る、まさに世に倦む日々を送っていたのだ


私は自分の人生で2度大きな失敗をしている(運命に翻弄されたというべきかも)
進学校で落ちこぼれ、真面目であるがゆえにもがき苦しみ、日々焦燥と悲憤の中無為な生活を続けていた


そんなある日のことだった



ある夏の夜、庭向こうの同じ長屋の住戸から30歳代と思われる女性が顔を大きく腫らして我が家に逃げ込んできたことがある


どうやら誰かに殴られたらしい
長屋の公営住宅なんて賃貸アパートと同じで住人の入れ替わりもあり、いちいちどんな人が住んでいるか気にもしていられない


私はその女性を見るのは初めてだった
結局、一晩泊めてやり朝になると女性は帰っていった


しばらくすると、深夜に同じ向かいの家で壮絶な男女の喧嘩の声がするようになった
よく見ると以前うちに逃げ込んできた女性ではなく、別の女がそこの住人の男と大喧嘩しているのだ
しかも女は刃物をもって男を追いかけている


深夜のことで衝撃的だった
まるで修羅場だ


こうした喧嘩が何度も深夜におこなわれ、翌日に当事者の女がひきつった顔をして近所にあいさつ回りをするのだった


しばらくするといつの間にか小学生の姉弟も住み付くようになった


どうやら顔を殴られうちに逃げ込んできた女性は住人の男の愛人で、その愛人を追い出して後から住み付いてきた女が正妻のようだった


ただ殴られた女性が、男に殴られたのか女に殴られたのかは分からない


まるでドラマのような劇的なシーンが毎晩繰り広げられ、そして痴話喧嘩の翌日には必ずその女はキムチ等朝鮮料理を配りながら近所を挨拶して回っていた


しばらくすると深夜の痴話喧嘩は鳴りを潜め、女は派手なチマチョゴリを着て近所を徘徊するようになる(在日朝鮮人だったのだ)


その登場シーンは衝撃的かつ壮絶だったが、その後のアピールも鮮烈で、こうした類の人たちをあまり見たことがなかった若い私にとっては、今でも強烈なエピソードとなっている


(続く)

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