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浄土宗僧侶練炭殺人事件

〈足立区住職・練炭28個燃やして殺害〉逮捕の霊園開発会社社長(50)と“美魔女”役員(63)は不倫の末に…ガソリン入りペットボトルも準備していた入念な計画。近隣からは「金で揉めたんだろうな」「お布施トラブルも」の声も | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
https://shueisha.online/newstopics/166823


浄土宗は京都知恩院を本山とする檀家・檀信徒約600万人程度の伝統仏教(私の記憶から)
そう書くと、その本山と歴史ある古刹と云う「良い」イメージで各地の住職と寺族を一括りに想像してしまうという大きな間違いを犯すことになる


上記の集英社オンラインの記事によると、足立区入谷「源証寺」の住職が殺害された背景について書かれているけれども、寺院と石材店の関係がどんなものかを知る者に言わせれば「さもありなん」である


結論を言えば、寺の住職なんてロクなヤツがいない
出入り業者がその「ロクでもないヤツ」に擦り寄るのは自分の商売のためだ


寺の住職は子供の頃から後継ぎとして甘やかされて育てられるため、意味不明な気位ばかりが肥大化し、我が強く意地の悪い自惚れた小物が多いが、金になる木の檀家の前では良い人を演じる


親から得度(ただの紹介制度と簡単な儀式)を受けて「僧侶」となり、「修行」と言う名のただのゆるい「共同生活」を半年から1年間本山や地方の「修行」施設で過ごせば「教師(導師)」の資格をどんな無能でも簡単に得ることができる


どの寺の住職もアホの一つ覚えで高級車、特に外車が好きで大概はバレないように境内奥の車庫に隠しているのだが、私の知る住職は派手な外車(真っ赤なムスタング)をこれ見よがしに境内の通り道に駐車させて得意満面のドヤ顔でいた
(そもそも自分の金じゃなく父からの生前贈与の金を迷いもなく道楽につぎ込んだ)


勉強不足で宗教法人法、墓地埋葬に関する法律等に通暁する者は少ない
ただ惰性と慣習と成り行きで祭祀を熟し、法人運営をするが、ベースにあるのは己の金銭欲と名誉欲と色欲である


住職は金に汚いのが多く中身もないのにプライドが高いのが多い
そのため若いうちに兼職するときは人に頭を下げることが苦手なので一般的な客商売は無理であり学校の教師を選ぶのが多いのだ
(プライドは高いが人間性はセコイ)


住職には破廉恥で好色漢が多い
しかし地元での女遊びはバレると更に評判を落とすのでわざわざ遠隔地に女を買いに行ったり、こっそり愛人を囲ったりするのが常道だ
坊主が韓国に愛人を囲ったなんてこともよくある話だ


これもまた私の知る住職だが、境内奥のシャッター付き車庫から大量のコンドームを隠し持っていたのがバレたことがある
発見したのが後継ぎ目当てに結婚したタイ人妻で、怒った妻が住職愛車のBMW(当時)を鍵で全面傷だらけにしたなんて情けない話もある(その後BMWは手放した)


仏教の戒律では金銭欲や色欲等を厳に戒めているが、実際の住職連中は何のその、一般の俗人よりも低俗な世間人、俗物が多い


自分の努力で事を成したことが一度もなく、ただ世襲で後を継ぎ、勉強もしないのに一丁前の口を利く


嫉妬深く自信がないから他人の目がいつも気になるくせに他人の気持ちや痛みは全く分からない、そして強いものには弱く、弱いものには強い


檀家や檀信徒も薄々住職の本性に気付いているのだが時代を超えて存する寺院に対する尊崇から一応住職にも配慮することになる
とは言え「先生」などと呼んだりするからまた勘違いを起こす


親や先祖の作った土台の上で大した努力もせずヌクヌクと当たり前のように生活し、檀家や檀信徒を金の成る木だと見ている


そしてその手伝いをするのが石材店や仏具屋等の出入り業者である
石材店や仏具屋が住職を「先生」と呼ぶのは商売の「打算」から


石材店と仏具屋はどちらも斜陽産業で、寺や葬儀屋からの「紹介」によって多くの収益が成り立ち、紹介で売り上げにつながった場合は「紹介料」もしくは「冥加料」と称して寺や葬儀屋にキックバックが行われる


より多くの仕事を貰うためには普段から寺との関係を良いものにしておかなければならない
そこで住職を「先生」などと持ち上げ、貰う仕事をバーターに盆暮の挨拶に加え普段からヨイショすることになる
出入り業者は本音では住職は神輿と同じで軽い方が良いと考えているのである意味質が悪い


今回の事件の動機は霊園開発に関わる経営方針の違いとされる
墓埋法上霊園の経営は地方自治体か宗教法人に限られるが、宗教法人が名義を貸して石材店が主導するいわゆる民間霊園も事実上存在する


いずれの場合も持ちつ持たれつの関係でなければ霊園経営は成り立たない
まして供養の多様化、家族の在り方の変化によって継承を前提とする家墓(「いえばか」と言う)は売れなくなっており、「殿様商売」を続ける檀家の多い寺に比べれば石材店の経営は青息吐息のところが多い現状だが、少子高齢人口減少社会の到来で未来の寺も安泰というわけにはいかない


霊園開発に当たり石材店は回収のために「宗旨・宗派問わず」での売り出しを望むのは当然で、墓地が早く売れればキックバックが入る住職も条件は同じと言えるが、宗派が異なれば墓地が売れた後の葬儀や法事等収益にはつながらないため長い目で見れば寺には不利になる


今回の事件の背景にあるのは、住職が自己の打算を優先させた結果、出入りの石材店の反感を買ったということになるのだが、おそらく霊園開発にあって出入り業者同士の競争で住職が自分の私腹に適う業者を優先させ他を蔑ろにしたというのが真相だろう


霊園事業は寺、業者ともにカネになる、しかも数千万から億単位の儲けになるのだ
その事業から外されればその収益が泡と消えて無くなり、それまで傾けた努力や時間まですべて無駄になる


その怨念が住職に対して死を持って報いる結果となったのだ


私は、ある石材店が寺の依頼でとある霊園の開発をしていたが、あるとき寺の住職が身勝手に他の石材店に日和った結果、霊園開発から干されることになり、これまでの努力が無駄になるとともにこれからの収益をすべて失い、数十年に渡りこの住職を恨み続けたという事例を知っている


それだけパートナーシップが重要なのであり、他者の努力や苦労に無頓着で謙虚さに欠ける住職はこのように恨まれても仕方がない


先の記事によれば殺された住職も中々の強欲だったようだ
住職は他人の気持ちを省みることなく自己の私腹に溺れた結果殺され、商売欲しさに住職に取り入ったが梯子を外された人を見る目のない石屋は弔いを生業とする者として最もやってはいけない手段で報いた結果今後厳罰を受けることになる


仏教に三世因果の道理という考え方があるが、殺された住職も殺した石材店主も来世は業火に塗れた餓鬼道か地獄が待っている


※寺の数は全国で8万余もあり、すべての寺が経営上成り立っているわけではない
一部の檀家の多い、或いは収益不動産を持つ経済的に恵まれた寺のなまくら坊主と違い、若いときから兼業したり勉学に励む住職もいるかもしれないがむしろ希少だろう

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