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寺、葬儀社、石材店、仏具屋 斜陽産業の行く末

(ブログの更新を昼の12:00に変更しました)


30年前の葬儀は自宅葬が多かった
(自宅死亡も多かった)


故人を自宅で看取り、医師による死亡診断後、近所の葬儀社に連絡し自宅内に祭壇を作り通夜、葬儀の2日間の自宅葬をおこなっていたのだ


近所には世話人なる男衆やら女衆がいて葬儀を手伝うのが習わしで近隣を交えてのイベントであった


近年、自宅葬はほぼない
更には、通夜をしない一日葬が増え、都内では3割以上が炉前で済ませる直葬だ
(直葬は宗教行為を一切しないただの火葬式という意味でも使われる)


イエ(家)を離れ、地域を離れ、様々なしがらみから離れた個人を中心とする社会に変わったのが要因のひとつだ


少子高齢人口減少社会への流れは様々な慣習や伝統をぶっ壊していく


自宅葬の割合は地域差もあるので何とも言えないが、地縁を離れた都会や準都会ならせいぜい100件に1件程度ではないか?
もっとも会場を借りずに自宅で葬儀をするとしても費用が安くなるわけではなく、前後の段取りを考えれば会場で行う方が安く安心して行えるというものだ


(昨今の葬儀代は人件費が中心の値段でほぼ底値まで来ているが、中にはどさくさ紛れで見積りに不要なサービスを付けて来る営業がいるので、中味をよく確認しましょう)


人が死ぬ間際までは病院や介護施設が中心に世話をするが、死んだ直後からは葬儀社が中心になって動くようになる


そういう意味で、タイトルの産業はどれも成長性がないという意味で斜陽化しているが、その中で葬儀社が実務面での主導権を握っていると言える


一見、寺が主導しているように見えなくもないが、実際には経済的に収支が成り立っている寺は3割程度で、より都会に近く、より多くの土地や墓地を持つ寺以外の専業寺院は生活するのがやっとで、清貧であろうとも陣頭で俗人を導く気骨がある住職は稀だ


他方、食える(経済的に裕福な)寺は自己の欲望と体面に勤しみ忙しく、俗人の供養に真に心を傾ける御仁がいるはずもない


年に50件も葬儀をこなす寺院の住職連も実は慣れたこの世の煩いに勤しむばかりで、実際には実務に流され、時流や法には疎く、自分が他人にどう見られているのかばかりが気になって仕方がないというつまらない連中ばかり、すなわち俗人よりも低俗な連中ばかりなので、葬儀社の社員にうまくコントロールされているというのが実態だ


葬儀社の社員もその辺をよく心得たもので、なまくら坊主を仕事慣れしたソフトな口調で「先生」と煽て上げながら、腹の中では「神輿と住職は軽い方が良い」と認識しているから大したものである


ちなみに、昔の葬儀社は酷かったなどと言ってしまうのはフェアではないと思う


昔は、やらずボッタクリでも今はネクタイ締めて真面目に顧客と向き合い、毎年大卒の新入社員を募り、中には株式上場までしてしまう会社だってある
(そんな業界は他にもゴロゴロある)


その葬儀社が宗教法人を買い取り、身内から坊さんを作り上げ、葬儀の際には自社から導師を派遣するなんてことはもう既に10年以上も前から行われている
金になる顧客を外に出すなら、身内の中で回した方が得になると考えるのはとても合理的なことだ


ちなみにタイトルの業界は互いに持ちつ持たれつであり顧客を紹介し合う関係でもある


例えば、契約により葬儀社が寺に葬儀を依頼すると、寺が葬家から貰ったお布施の中から2割から3割、もしくは定額のキックバックがおこなわれている


葬儀社が位牌等の仏具販売を仏具屋に紹介したり、納骨や建墓の客を石材店に紹介すると紹介料が葬儀社に入る


紹介料は売り上げの1割から2割で、もちろんそのお金の源泉は顧客である


寺が檀家の葬儀を葬儀社に紹介すると必ず決まって御礼の品もしくは金品を寺に持参してくる(これは簿外で住職の懐に入ることが多い


また、寺が仏具屋や石屋に顧客を紹介すると冥加料すなわち紹介料として寺にキックバックがおこなわれるが、これも顧客の支払金額に上乗せされたものだ
寺はこの冥加料を課税収入(事業収入)として経理処理を行う


全体を俯瞰してみれば、実務で主導するのは葬儀社であり、仏具屋と石材店は食える寺のヒモとなり仕事をしているケースが多い


それは仕事を貰う立場なので仕方がないと思うが、やってることは実に情けないことだと言える


だから住職がますます勘違いしてツケあがる


ただし、霊園開発となれば巨額の、数億円単位の利益を生むチャンスが訪れる
石屋や葬儀社には墓地経営の法的資格はないため、宗教法人と結託して新たに開発することになるが、プライドが高く金にも汚いが霊園開発技術と経営ノウハウを持たない寺院住職をうまく動かした石屋等がその実利を得ることができるのだ


先日あった足立区の浄土宗住職と石屋との軋轢の結果、練炭で住職が殺されるに至ったが、あれは欲深な連中による銭ゲバ闘争の結果に過ぎない


しかし、これまで紹介したように、そのお金の出処は檀家であり、葬家であり、信者なのである


いよいよ団塊世代が後期高齢者となり今後20年に渡り年間160万人死亡の時代となる
今や単価が下がり儲けが薄く、かつてのようにボッタくれないというデメリットもあるが、死亡ビジネスとしてはまだしばらくは食える時代が続く


要は儲けは薄いが食いっぱぐれはない


私は歴史ある神社、仏閣は好きだが、世襲坊主にはロクなのがおらず大嫌いだ
政治家のみならず僧侶の世襲も一切禁止したほうが良い


多くの坊さんは伝統と世襲に胡坐をかき、自力で事をなしたことなど一度もなく、そのくせ意味不明にプライドばかりが高く、他人の目を気にしてばかりで嫉妬深い


現実的には、葬儀屋も石屋も仏具屋も寺院のなまくら坊主が世の中に甘ったれたつまらない人間だと知ってはいるが、仕事上付き合わねばならないと割り切っており、適当にあやしているというのが本当のところだろう

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