NEOのゆとりを楽しむ生活

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社会人駆け出しのころ(8)ある女性との出会い

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最初に勤めた自動車会社で営業所に配属され、Hさんの免停に伴い外回り営業となってガンガン売り上げ、いつの間にか営業マンとして定着していました


サービス(修理工のこと)の経験のない私は、相変わらずメカの知識がなく知らないことが多かったのですが、何とかなるものでした


私はHさんとは仲が良く、仕事を終えてから一緒に飲み歩いたりしたものでした


あるとき、Hさんと仕事を終えて食事でもしようかと駅前に到着し繁華街をぶらついていると駅のほうから女性が歩いて来ました


しかも何だか酔っ払いに絡まれている様子でした




酔っ払いは追い払いましたが、念のため、そして気持ちも高じて「一緒にご飯でもどうですか?」と言うと「あ、はい」みたいな流れになりました
(なんだか低級のヤラセのようなシーンですが・・・)


夕食を済ませると、Hさんは用事があると言って帰っていきました
私は、女性ともう一軒行きましょうということになり、結局その夜は3軒のハシゴとなりました


女性は偶然にも私と同い年で、仕事は歯科助手をしており、駅から歩いて15分くらいのところに一人で住んでいるとのことでした


会話は色々と弾み、私は会社や仕事のことなど話しましたが、何故か私は自分の名前は下の名前だけしか伝えませんでした


そして夜遅く、車で彼女を家の近くまで送り別れました
携帯もなかった時代、もう彼女とは逢うこともないんだろうななどと思っていました




その翌日のことです


営業所の方に若い女性から「下の名前が〇〇さんという男性社員の方はいませんか?」という電話が入りました


当時、営業所と私のいるサービス工場は車で5分ほど離れた別の場所にあり、普段頻繁な交流はなかったため、いきなり下の名前の問い合わせをされてもすぐに分からなかったでしょう


結局、私にたどり着きましたが、電話で女性と話すと、どうやら私の車の中に財布を落としたらしく探してもらえないか、という内容でした


果たして、財布はシートの下から出てきました


私たちはまたその日の夜に駅前で待ち合わせをして、財布を女性に渡したのでした
そして、以来私たちは付き合うことになり、女性は今私の妻となっています


一方、私は社内で「プレイボーイ」のようなポジションとなってしまい、ことあるごとに弄られることになりました


最後に、失敗談を・・・


当時この部署は、トヨタ自動車と系列各社が出資をしてその部門の新会社を作ることになっており、最後の出社日の始業前の朝、転籍する私を含めた5人を祝うために営業所員全員が集まる予定になっていました


ところが前夜、私とHさんは朝方まで深酒をして、二人ともHさんの家で特大の朝寝坊をしたのです


はなむけのために全員が集まっているのに、時間になっても何故か二人だけが現れない
皆さん仕事がありますので解散になりましたが、上司の係長始め多くの皆さんにご迷惑とご心配をかけました


今も持っている皆さんからいただいた色紙の言葉には優しい応援の言葉がたくさん書かれてあり、若き日のやんちゃな自分を思い出すのです

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社会人駆け出しのころ(7)ある交通事故の後で

NEO

会社員になって紆余曲折もありましたが、ある営業所に配属され、自動車関連部品の外販営業となり、日々精を出して働いていました


私が23歳のころです


仕事を終えるのは、ときには夜の9時10時くらいになることもありました


冬の寒さも厳しかったある日の夜、会社での仕事を終えて車に乗り家路につきました
もう夜の9時を回っており、市道を車も多くは走っていません


すると私の車のずっと前を走っていた車が大きく跳ね上がるのが見えました
近付くと、交差点で対向車線の車と出合いがしらの衝突事故を起こしていたのです




私の前を走っていた軽自動車には運転手の男性と助手席には女性が乗っていました
どうも対向車の男性が車線をはみ出してしまったのが原因のようでした


私は心配して車を止めて見に行きましたが、幸い皆さんケガはなかったようです


ただ、軽自動車は事故の影響でエンジンがかからなくなっており、また非常に寒い夜で警察を呼ぶ間、助手席にいた女性に声をかけて、私の車の中で暖を取るようにしてあげました


そのうち警察がやって来て、現場検証と両者から事情聴取を始めましたが、相手の運転手はどうやらお酒を呑んでいたようでした
ただ、車の中で酒を醒ましてから乗ったと言うので、警察は飲酒検査も行いませんでした


軽自動車はレッカーを呼ぶそうで、私は女性に「近くの駅までお送りしましょうか?」と申し出ると「ご迷惑でなければお願いできますか?」と言われました


車内で話すと、女性はテレビ局の地元支局の方で、私よりも少し年上でした
途中でお願いされて連絡先を交換してから女性を近くの駅に降ろしました






すると1週間後に彼女から連絡が入り、御礼がしたいとのことで駅前で待ち合わせをすることになりました


そして食事、カラオケを楽しんだ後に、彼女の自宅に誘われて車で向かい、彼女の部屋で一夜だけの甘い時を過ごしたのでした


彼女とはその後連絡を取り合うこともありませんでしたが、携帯やSNSもない時代に、そんな出会いもあったのでした

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社会人駆け出しのころ(6)オカマに遭遇する

NEO

まだ社会人駆け出しのころ、昼間の会社でバリバリ働きながら夜の店でもバイトをするというタフな生活を送っていました


暖かい春の夜の1時過ぎ、夜の仕事を終えて、車に乗り込み繁華街を抜け最初の信号で止まったときでした
10数メートル先から若い女性が「すいませ~ん!」と手を挙げて叫びながら近付いてくるじゃありませんか


「??」


繁華街の通りとは言え、深夜のため他に人通りはなく、たまにタクシーが通り過ぎるだけでした
女性は近付いてくると「乗せて頂けないですか?」と言いました




私は何か事情でもあるのかな?と思いつつ


私「良いですけど、どちらまでですか?」と尋ねました
女性「〇〇までです」(そこから2キロ程度の場所でした)
私「わかりました、どうぞ」


女性は助手席に乗り込みました
車を走らせると、女性は真っ直ぐ前を向きながら愛想良くとりとめのない話を始めました


女性「お仕事だったんですか?」「今から帰るのですか?」


女性の案内で車を走らせ、しばらくすると女性は自分の手を運転する私の左太ももの上に乗せてきました


私は多少の戸惑いを感じながらそのまま車を走らせましたが、女性は変わらず話を続けます


女性「どちらまで帰るんですか?」「あっ、そこを右に曲がって下さい」


女性の手はだんだん積極的な動きになっていきます


「あっ、そこのアパートなんです!良かったらコーヒーでもどうですか?」


どうしても御礼がしたいという女性の誘いに乗り、私は彼女のあとに続いてアパートの2階の部屋に入りました


部屋はこざっぱりした部屋でした
部屋の端の方にベッドがあるのに気付きました


女性は「お湯を沸かしてきますね」と言って台所へ向かいましたが、解せなかったのは彼女が部屋の電気を付けなかったことです


そう言えば、車の中の彼女の横顔は随分化粧が濃かったような・・・


彼女が部屋に戻ったところを、私は「ちょっと電気を付けてもいいかな?」と言って灯りをつけると、な、な、なんとオカマだったのです


先日書いた記事「夜のラーメン」よりも半年以上も前の話で、オカマと間近で遭遇するのは初めての経験でした



40年前もオカマは存在したし、クラスの中にも一人か二人はそれらしいのもいました
職業ニューハーフも既にいた時代だったので、何も驚くこともなかったのですが・・・


しかし、当時私は22歳と若く、まさかこういう出会いがあるとは想像もしていませんでした私は非常に驚き、慌てて部屋を飛び出したのです


「彼女」が後ろから「何よ!あんただって分かってて来たんでしょ?」と放った言葉が今でも耳に残っています




それからしばらくして私は営業所に転勤して同僚Hさんと知り合い、気が合って一緒に仕事のあとよく遊んだものでした


ある時、二人で夜の新規開拓でスナックに入ると、「ミエコ」と名乗るとても綺麗で気が利いた素敵な「女性」が付いてくれました


「彼女」はオカマでした
本人もサラッと自発的にそう話してましたが、実にスマートで気さくな雰囲気でした


店を閉める時間までいて、帰り際にミエコさんはHさんに家まで送ってくれませんか?と頼んでいました
家の場所を聞くと店から2時間近くも離れた場所、翌日も仕事です


しかし、Hさんはミエコを送っていきました


翌日出社したHさんにその後のことを聞くと、途中のファミレスでお茶をしたらしく、そして「ミエコはただのオカマじゃない」と言ってましたが、それ以上詳しいことは聞きませんでした


確かに、気の利いた綺麗系の「女性」でしたが・・・


(注記)
書いた内容は40年も前の話で、そのときの感性のままで忠実に書いていますが、決して性的マイノリティの方を揶揄するつもりはありません
時代は変わり、今や性的マイノリティを含め多様化を受け入れる社会となりました
そして私もそうした考え方を受け入れていますが、もし私の書いた内容で不快に思われる方がいましたら申し訳なく思います

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社会人駆け出しのころ(5)夜のアルバイト2

NEO


昼間の仕事をしながら、夜の店でバイトにも精を出していた私でした


しかし世界は狭いもので、会社の同僚Hさん(一つ上の先輩)が店のママ(ホステス)を知っていることが何気ない雑談で分かり驚いたことがありました
同じ県内とは言え、1時間近くも離れた場所での偶然の会話でしたから


ある時、Hさんら会社の諸先輩らが店に二次会でやってきたこともありました
バイトがバレた!と思ったかどうか記憶にありませんが、何らお咎めもなく、何とも大らかな時代でした





またあるクリスマスの時期に、昼間の会社に出入りする大手生命保険会社のお姉さんが店にやって来て、ベロベロに酔ってしまってトイレを汚してしまい、後始末をしたこともありました
(私はその店でバイトしてることを伝えていたので来てくれたのだと思います)



女性が活躍する職場というのも色々ありますね
でも、夜の店は職場でしたので、私はホステスたちを「女性」としては見ていませんでした



私の失敗談を書きます


ある時、店の同い年の女性に誘われ閉店後に近くの居酒屋に行ったことがあります


夜の仕事は深夜1時まで、それから色々と仕事の話をした後、「一緒に寝ない?」と誘われホテルに入ったのは多分3時頃、一夜を共にしました


「女性」として見てないとは書きましたが、下手に断ると「恨み」を買いかねません
仕事柄、彼女たちもストレスを溜めていたのです


しかし、普段の寝不足と疲労そして酒も加わって、起きると昼間の仕事の始業時間をとうに過ぎていました


当時は携帯電話もない時代で、私から連絡をしないと私がどこで何をしているか誰にも分かりません


私はホテルの部屋からすぐ電話をかけました


上司だった係長に「どこにいるんだ?」と聞かれ私は正直に答えました
(今考えると駆け引きのないバカ正直というか初心というか・・・)
直後に上司が電話で放った言葉「そこからなら30分で来れるだろ!」は今でも私の耳に残っています
私は急いで着替えて会社に向かったのでした



私がバイトをしていたパブは地域で数店舗を展開するチェーン店で、そのオーナー社長は何と歯科医でした
この周辺では幅を利かせたグループ店のオーナーで、視察のために店に来る姿は何度も見たことがあります


各店長は店を閉店後オーナー宛て留守番電話に、店の売上げ、戸締り、火の元点検等を入れてその日を終えるのでした


店の女の子と一夜を共にしたという話を書きましたが、店のホステスと黒服が付き合うのは原則禁止です
このときは二人の暗黙だったため後々のトラブルもなかったのかも知れません


繰り返しますがそもそも私は店の女の子を「女性」として見てませんでした


ところが、私は街歩く若い女性をよく店に連れて来たので、どう見られていたのかも分かりません


と言うのも、ある時同じグループの他の店で働く女性と仕事上の行き掛かりでたまたま会話した後で、因縁を付けられたことがあるのです
私がいたパブの店長に「部長のオンナに手を出した」などと言われてしまったのです
誰のオンナとかどうでもいいのですが、その気も全く無く、してもないことをグダグダ言われるのは極めて不快でした


アホか?お前らは


結局、私は1年ほどでその店を辞めることにしましたが、夜の世界でやっていこうなどという考えは更々なかったし、ダブルワークで体力的にもキツく感じ始めた頃だったので良いタイミングでした


夜の世界(ホステスやキャバクラ嬢のいる世界という意味)は愛憎が交錯する世界です
(昼間もそうかもしれませんが)人気商売の世界は感情の露出の仕方がえげつないと思います


ちなみに最後の月の給料は支払われませんでした(確か8万位)
これが嫉妬心に塗れた「夜の世界」の仕打ちなんでしょうかね?


そして、このグループのオーナー社長の渡〇某が淫行条例で摘発されたのはそれからわずか数年後のことでした


その後、その時の人たちとは全く縁がありませんでしたが、5、6年後飲み歩いたときに全く別の場所の店で働いていた同店の女の子と偶然会うことがありました


下記の仲人と飲み歩いた記事ですが、そのときに30キロも離れた別の町の呑み屋で偶然会ったのです(彼女は〇〇クン?久しぶり!ビックリ!などと言ってましたが、いい加減夜の世界から卒業しろよ、と今なら思う)


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社会人駆け出しのころ(4)夜のアルバイト1

NEO

若い頃、女の子のいる夜のパブでアルバイトをしていました


実は、ある理由があって昼間の仕事を終えてから夜の店に入りバイトをしていたのです


女の子が10数名いる店で、私はホール担当、料理や酒を運んだり、お客から受け取ったカラオケのリクエストカードをもとにカラオケをセットして、イントロが始まるとお客を呼び出してマイクを渡す等の仕事をしていました


カラオケは第一興商で、既にレーザーディスクを1枚1枚挿入するタイプではなく、またリモコン操作でもなく、機械本体に曲番号を入力するものだったためホール係がいると都合が良かったのです


営業は深夜1時までで、閉店後たまに店の女の子を数人乗せて自宅に送ったりすることもありました


私も22~23歳で若かったので、女の子も同い年くらいか年上の方が多く、中にはシングルマザーで生活感を隠して働く人や店長の情婦になっている女性もいました


今思えば、当時夜の店で働く女性には、どこか陰のある人が多かったと思います
仕事、結婚、受験、人間関係、何かでドロップアウトしてその屈するものを隠して夜の世界に飛び込んできた人が多かった気がするのです


ただ、夜の世界の仕事は「お金」だったり、新しい「人間関係」だったり、自己実現の手段だったのでは?


店長は夜の世界に比べると「昼間の世界はあこぎで冷たい」などと言ってましたが、しかし私は彼のポジショントークだと思っていました


時は昭和60年ころで、プラザ合意を受けての急速な円高進行により景気が悪化したと言われていますが、実際には夜の街も含めて世の中はとても元気だったと思います


店にはお客が多く来店し、時には女の子の数が足りなくなることもありました


そこで私は、店がまだヒマな開店前後の時間(確か夜7時頃)に、繁華街に繰り出しては、街歩く若い女性たちに声をかけ、口説いてお店に連れて来るのでした
そうです、私は店公認のスカウトマンだったのです


私の目的は、店の中を見せ、気に入ればホステスとして仕事をしてもらうことでした
仕事をしていた1年の間に30人位は連れて来たでしょうか
こうした声掛けは月に数回程度だったので中々見事な「面接」人数だったと思います


ただ、実際に働いてくれたのはそのうちの2~3人でした
やはり夜の仕事はハードルが高かったのでしょう


それと働いたのは家庭環境が複雑な女の子ばかりだったと思います


ちなみに、この時期のバレンタインデーで貰ったチョコレートは全部で21個で最高記録です
もちろんすべてが義理チョコでしたが・・・

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