実は御朱印を書いていた
実は、しばらくの間ある寺院で「御朱印」を書いていました
観光寺ではなく普通の檀家寺だったのでそう多くはなかったのですが、それでも地域の街おこしの対象だったので、休日にはまとまって人が来ることも多く、そういう時は追われるように筆を走らせたものでした
ちなみに当職は本職としておこなっていたもので、バイトレベルでおこなっていたものではありません

御朱印は参拝記録であり、それそのものに御利益があるわけではありません
御朱印の記録を「神仏との縁」であるから御利益があると言う人がいますが、飛躍のしすぎで私は違うと思います
「御利益」と聞いて、「現世での利益」を想像する人も多いかと思います
当然ですが、「苦しいときの神頼み」をしても神や仏は私たちを救ってはくれません
宗教心(信仰心)をもって俗世を生きることによって、ある人にとってはそれが救いとなり、ある人にとってはそれが劇薬となる
ですがその心は社会全体を一定の秩序に保つ効果が期待できる、というものです
話は戻りますが、御朱印はただの参拝記録であり、特別な「御利益」があるものではなく、言わばhobbyのような位置づけになると思います
私たち夫婦も、小旅行において神社仏閣に立ち寄ることも多く、ミーハーな妻は御朱印を貰っていますが、私は御朱印そのものには興味がありません
ただ、代わりに貰いに行ったときに、作り置きの紙を貰うのではなく、目の前で書くその筆さばきに注目するのが好きです
というのも、毛筆というのは書き手の個性と上手い下手が露骨に出るもので、達筆な人ほど筆先に迷いがなくスムーズに書くものだからです
毎日一定量をこなして書く人はそれなりに熟練して上手に書けるものだと思います
私の場合、決して達筆ではなく、またスムーズな筆とも言い難く、書きながらいつも筆先に一定の緊張感がありました
そして日によっては筆先が自分の意のままでなかったり、今日は良いな、今日はダメだなというのがありましたが、集中し我が心と筆先の動きが一致して納得のいく文字を表せたときの何とも言いようのない清々しい気持ちになったものです
私は現在、特定の神社や寺院の氏子でも檀家でもないため、御朱印を書く、または代筆を協力することはありませんが、懐かしい日々を思い出すのです
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