店舗移転に伴い新規オープン
早速行ってみました

カウンターに座りました

まずはビールで

先付け

早くも日本酒で

一品ずつ続々と出てきます




日本酒のお替りを
なみなみと注いてくれます

美味い



酒のピッチも速まります

食もどんどん進みます



ネタが良いですね



生ビールに加えて軽く3合以上飲んでいるので良い酔いです
お茶にしました




良い店でした
また来ます
実は私は戒名を100件以上作り故人もしくは生前に授戒してきました
戒名とは仏の弟子になるにあたり作られる名前です
仏の系譜である血脈(けちみゃく)に戒名を書き入れ、葬儀の読経の際に授戒するのです
もっとも「戒名」などというのは仏教の考え方に過ぎず、戒名があろうがなかろうが死んだ人は泣きも笑いもしません
また戒名の「格」によって「あの世」での暮らしに格差が現れるわけでもありません
ではなぜ付けるのか?
それは故人が生前に、そして故人の家族が故人の弔いに当たり心の平安を得るための儀式なのです
したがって、宗旨が違う方や上記の考え方を相いれない方は、戒名を付けずに俗名での葬儀やお別れ会を行うのももちろん良いと思います

戒名を見ればどの宗派であるか一見して分かります
そして、戒名には「格」がありその格によって「御布施」という名の金額が変わってきます
その金額は地域の仏教連合会が目安を開示しており、たとえば関東地域の寺なら院号居士(大姉)なら50万程度、院号なしの信士・信女なら10万程度が多く、自坊を持たない派遣坊主や新興宗教団体や葬儀社御用達の雇われ坊主ならもう少し安く手に入れられると思います
私の場合は、故人の家族から故人の人柄、仕事、趣味、特技、資格、信条等をヒヤリングして、文字の希望等を聞いたうえで、その場で戒名を作り、年回表に戒名を入れて意味を説明の上で渡していました
(生前戒名なら本人の話を聞いていくつかの案を出すことが多かった)
概ね、家族の皆さんには喜んでいただいていたと思います
しかしよく考えてみると、戒名程度なら少し学べば誰でも作れます
差別的な文字、故人を愚弄するような内容でなければ自由に作って良いのではないかと思います

そして、戒名を作るなら生前戒名が断然よろしい
自分で作るにせよ、僧侶に依頼するにせよ生前に作っていた方が、自分にとっても家族にとっても「安心できる」し「納得できる」というものです
この「安心できる」というのがキーワードで、死後の安寧を得ることができるのであれば、ぜひ生きているうちに、墓、戒名、葬儀社(これ肝心)、葬儀の規模と内容を決めておくと良いと思います
(墓をどうするかはじっくり考える時間がありますが、葬儀社や葬儀内容をどうするかを亡くなってから手配するのはあまりにお粗末なことです)
人間死ぬ前に、自分が死んだらどうしてもらいたいのかを生きているうちに明示しておくのが本当の終活なのです
断捨離そのものは残った家族に対する思いやりにすぎません
弔いをする家族は故人の遺志にのっとり、そして修正も加えながら葬儀等をおこなえば良いのです
ちなみに葬儀代や戒名料等は相続税法上の費用に該当しますが、墓や仏壇等の祭祀財産は相続財産にはなりませんので、相続税がかかるくらいの資産家なら生前に墓や仏壇等に金をかけておいた方が節税になります
話は戻りますが、もし死後の自分に戒名を付けたければ、生前に自分で考えるのが良いのです
それをもって坊さんに頼んで生前受戒しても良いし、家族に申し渡しておくのも良いでしょう
そしてもし、戒名は僧侶の専売特許であるからそんなものは認めないなどという生意気な坊主に出くわしたら、そんな坊主とは縁を切ればよいだけです
(菩提寺を持つ檀家の場合、自分で作った戒名を通す場合に「認証料」を求められることがあります)
もし寺院墓地に墓があり、聞き分けのない狭量な住職だったら縁を切って公営墓地に改葬するのも一案です
巷では離檀に当たり離檀料を要求する寺があるようですが、離檀料そのものに法的根拠はありません
離檀料請求の背景には遺骨を人質扱いする住職の強い執着心と煩悩がありますが、もし改葬に必要な「埋蔵証明書」の発行を留保されたら、専門家に交渉を依頼するのが良いと思います
それで大抵の住職は芯がないのでころりと態度を変えるはずです
大手の寺院ならそもそもそんなみっともないマネをしないと思いますが
昔から、「性善説」と「性悪説」という考え方がありますが、私はどちらも正しいとは思っていません
敢えて言うなら、人間の本性は弱いもの、すなわち「性弱説」を信じています
「性弱説」なる考え方が実際にあるかどうか知りませんが、感情に流され、環境に流され、しがらみや組織に流され、執着心を捨てられず、いくつになっても物欲や承認欲求等の欲望に支配されるのが人間の性です
さらに、我々人間は生まれ落ちた瞬間から何らかの遺伝子を背負って生きています

大谷選手の通訳水原さんが解雇されました
理由は違法賭博に手を染めていたということですが、世界最高選手の専属通訳をしながらリスク管理が甘かったわけですね
ギャンブル依存という性、ギャンブルが本当に儲かると思ってやっていたのでしょうか?
私は、ギャンブルの類を一切しないのでなかなか理解し難いのですが、一度覚えた「成功体験」もしくは自分の頭で構築した「成功理論」に対して快感を覚えるのでしょう
私が少年時代に過ごした地域から自転車で少し行くと競輪場があり、開催後にはいつも赤鉛筆が場外の路上に散乱しており、その悪いイメージが私の心に焼き付けられています
会社に入るといつも必ずいた春夏の高校野球の季節になると「どこが優勝するか賭けよう」と他者を巻き込んでまで賭け事をしたがる身勝手な社員
朝の通勤時駅前のパチンコ店の開店前から並ぶ薄汚れたヒマ人たち
夜の店から食事まで提供されて調子に乗ってポーカーゲームにベットして、最後は数百万以上の借金を背負った依存症の人たち
カモ扱いにも気づかずマカオやラスベガスのカジノから航空券まで贈られて、のこのこと負けに出かけて行く愚か者たち

楽しむ時間を買うつもりで身の丈に合ったお金を投入するのなら分かりますが、本当に儲けようと一か八かの大金を突っ込んでいるとすれば、もはや「聡明さ」に欠けるということなんでしょうね
そこには人間のロマンも人生のロマンもありません
私も懺悔のつもりで書きますが、サッカーくじビッグを10年以上に渡って毎年50万程度買ってました
当然当たることもなくほぼ外れましたが、身の丈に合ったお金であり、もっと違う使い方をすれば良かったという反省は残りますが、覆水盆に返らずで仕方がありません
投資や資産運用は人生観、世界観であり、長期の旅なのです
それを一発逆転だの伸るか反るかで大金を投じる人には理解も及ばないでしょう
最後に、恥を忍んで実兄のことを書いた記事
貧すれば人は鈍する、結果人の道を踏み誤ることがいかに多いことか
早朝エルと熱海銀座周辺を散歩

散歩するうちに熱海港に日が出てまいりました

熱海の路地裏に風情を感じます

さて、来宮神社へきました
朝から参拝者が続々とやってきますが、運良くスムーズに駐車できました

なかなか良い神社です



天然記念物である御神木の大楠を一周すると寿命が1年延びるそうです


エルの長寿を願いました

続いて、十国峠へ
まずは、ケーブルカーに乗って山頂へ

高台なので最高の見晴らしです


エルは走れないけど、一応ドッグランにも来てみました


下山して、熱海銀座にほど近い「blue nine cafe」さんで昼食



この後帰宅の途に着きました











