NEOのゆとりを楽しむ生活

株式投資、英語学習、グルメ、旅行、愛犬とのシニア生活

2024年3月末の資産状況

NEO

資産状況


堅調な日米株価の上昇で金融資産は先月末よりも増えました


株式現物 +2,526,206円(前月比)※主に日本株中心、ETFを含む
投資信託 +4,495,835円(前月比)※オルカン、S&P500等(新規購入分やiDeCoを含む)
現金等     △651,528円(前月比)※日本国債、ポイント含む   


金融資産合計  前月末比  +6,370,513円

          前年末比 +29,247,999円


集計は数年前から有料会員となっているマネーフォワードで自動計算しています

現金等が減少していますが、先月から成長枠で買い付けを始めたからです


株式現物に比べ投資信託がより増加しているのは、単に資産移転が数字に出ているためで基本的にはともに堅調です


現在、日本株を60銘柄、米国株(ETF)を2銘柄、投資信託を16ファンド(インデックスのみ)保有しており、個別株評価額が投信評価額の約1.4倍あります


また、上記集計には含めてませんが25年ほど居住するマンション価格が先月半ばころに1000万ほど評価を上げており注目していました

取引事例によって集計をしているのかも知れませんが、購入価格を上回ることになり悪い話ではありません




市場観測

先月も書きましたが、今年1年は株式市場は強気を継続するでしょう
年末の日経平均株価は42,000円、NYダウは42,000ドル程度と見ていますが、どちらもしばらくは40,000前後でもみ合いを続けるのではないかと思います


これも繰り返し書いてますが、リスクイヤーは来年2025年央と見ています
米国トランプリスク、中国経済リスク、そして最大の懸念が自然災害に関連したリスクです


もっとも私たちがコントロールできない事態を重大視しても仕方がありません
私は年末から年始にかけて個別株を減らしてリスク配分を見直すことを考えています


収支


色々なブログを読みますと、細かく家計簿を付けては収支を公表される方が多くいます


私の場合、金融資産の変動が日々50万~100万は普通にあり、場合によっては200~300万も1日で変動することもあります


私はそうした変動に慣れてしまったせいか、日々の万単位の収支を気にすることも止めてしまいました


毎月の支出は35~40万程度じゃないかと思います
そのうち20~25万は外食費と交通費で、たまに妻や娘に暦年贈与課税の範囲内で贈与するくらいです


ただ近く新車(レクサスNX)を購入して愛車クラウンと惜別しようかと考えていますので、800万近く現金を使うことになりそうです




ブログを始めました、応援よろしくお願いします

仕事に明け暮れた20代の私(2)トヨタ方式

NEO


新会社に転籍して30~40人程度の商品管理部門に配属され、超忙しい環境の中でも腐らず怯まずいつも爛々気分で仕事をしていた私でした


そうは言っても2階建て倉庫は広く、また別途エリアに鉱油倉庫があり普通に歩くだけでも1日で3万歩くらいは歩きます


さらに入出庫は軽い部品ばかりではなく、ボンネットやドア、マフラーやタイヤハウス、エンジンオイル等のケースやエアコン(かなり重いのがある)などもあり、歩きながらウエート(トレーニング)に取り組むマッスルジムのようなものでした


冬は超寒く、夏は目眩がするほどの暑さで、倉庫内は目に見えない埃が常に舞い立ち、さらに時間厳守の納期に追われ、常に緊張感のある職場でした


配送トラックはダイヤが決まっており遅れるわけにはいきませんので、倉庫内を走り回ったのを思い出します


私は若く体力もありましたが、毎晩深夜までの残業と日曜日も出たりでなかったりの日々で疲労も極限まで蓄積していたのだと思います


あるとき彼女(現在の妻)とやっととれた休日に晴海のボリショイサーカスを見に行ったことがありましたが(もちろん無料券で)、たまった疲労と体調不良でショーの最中に寝落ちして彼女を不機嫌にしてしまったことがありました


そんな仕事生活を続けて数か月したころ、株主であるトヨタ自動車からトヨタ物流方式を指導するために担当者N氏がやって来て定期的なセミナーを開催することになりました


当時から「原価削減」「乾いた雑巾をさらに絞る」「ジャストインタイム」「カイゼン」だのという言葉は聞いてました


所謂「トヨタかんばん方式」をなぞらえた「トヨタ物流方式」を徹底するためのセミナーだったのです


トヨタが国内他社に差をつけ成長する背景にはこうした思想が根付いており、脈々と受け継いでいかれる文化がありましたが、それを指導する担当はあたかも熱狂的な信者のような人でした


トヨタ物流方式という思想のもと、私たちは作業の効率を計るポイントを学んでいきました


そしてそのトヨタ物流方式に乗っ取って倉庫内の保管改善をすることになり、4つあったセクションのプロジェクトリーダー(プロモーター)に私が抜擢されたのです


おだての利く私の爛々気分はピークに達しました




当時の倉庫内に自動車部品や用品が何万点保管されていたか記憶にありませんが、多分10万点くらいだったのではないでしょうか?


同部門の全員で一点ずつ種類とサイズを計り、その集計をもとに各セクションごとにチームを作り、プロモーターがリーダーとなってチームを引っ張りながら通常業務が終了後にその作業を進めたのでした


その保管改善という作業は半年以上に及び、プロモーターだった私は何度も会社に寝泊まりしながら知力・体力を消耗させたものです(この頃私は24歳になりました)


やがてプロジェクトが完了すると、トヨタ自動車及びグループ企業の5社およびステークホルダーらを集めてカイゼンの発表会がおこなわれました


親会社のトヨタとしても「カイゼン」とはこうするものだとアピールする場を設けたかったのでしょう


私もプロモーターとして発言する機会はありましたが、実際には私ら若い連中を焚きつけてプロジェクトを動かした同部門の責任者とトヨタの担当N氏が大きく評価をあげたことと思います


これはサラリーマンの宿命なのです
しかし、この頃の私はいつも明るく仕事に前向きで、若く初心で良いヤツだったと思います

ブログを始めました、応援よろしくお願いします

仕事に明け暮れた20代の私(1)新会社へ転籍

NEO


社会人として働き始めた会社は自動車会社(新車担当)でした
ところが自身の意思とは無関係に1年足らずのうちに2度も配属先が変わり、先輩社員が免停となったのをきっかけに自社部品のルートセールスとして外回りをするようになったのでした




商品知識もなくただ行動力で業績を上げていた時期でした


その後、トヨタ自動車と2つの企業グループが新会社を設立し部品部門を統括することになり、私も新会社に転籍することになりました


そのとき私は23歳でした




時代は1986年4月で、プラザ合意による円高不況を経て日本がバブル景気へと向かう頃でした


私は、旧会社ではルート営業で2か月連続営業所売り上げ記録を更新するなど頑張っていましたが、新会社ではなぜか営業部門ではなく商品管理部門へ配属され倉庫の中で働くことを余儀なくされました(私自身の意思など全く無関係に環境は変わっていきました)



しかし、新会社は設立当初から混乱を極めました


ディーラー、修理工場、板金工場、タクシー会社、そして個人客からの注文が予想以上に押し寄せ、対応しきれない現場はカオスと化したのです


さらに新会社は5つの会社の社員の寄せ集めの組織で、指示系統にも一貫性がなく、毎日深夜までの残業で社員がどんどん疲弊化するのが分かりました



私はと言えば、若く初心で純粋で体力もあり、いつも気持ちは爛々しながら会社に通っていたものです




この当時は、土曜日は普通に勤務日で、就業時間は9:00~17:30、残業は18:00~の計算でした


毎晩深夜まで残業して、時には早番で7:30出社、そして日曜出勤もして、時間外労働だけで一か月178時間というときがありました


会社に泊まったことも何度かあります


社員の何人かが愛想を尽かして辞めていきましたが、私は目の前に困難な仕事があれば俄然やる気が沸いてきて、とにかく仕事に熱中したものでした


今思えば、あまりに初心で若者らしい視野の狭さだったと思う
あれだけの労働を放置してたら今の時代なら大問題になるでしょう



しかし時代はバブルへ向かう過程で、会社は儲かっているという話が若手社員の私の耳にも届いていました


安くて品質の良い日本製品は世界の市場を席巻し、莫大な貿易黒字は常に摩擦の対象となりました


日本人の労働時間の多さはたびたび指摘され、「24時間働けますか」などというCMまでが流れますが、男女雇用機会均等法の施行により女性が相対的に強くなり、社会は活気に溢れていたのです


そんな日本社会が元気だった時代に、関東圏の自動車部品の大倉庫の中で、ひとりの若者が埃にまみれながら、でも意気揚々と働いていたのでした

ブログを始めました、応援よろしくお願いします

学問のすゝめ

NEO

歌手の松田聖子さんが中央大学法学部を通信課程で卒業されたニュースがありました
当然ですが、アカデミックの世界は相手が有名人だからって忖度することなどは一切なく、ご本人がかなり努力をされたのだろうと想像できます



私自身もこの10数年ほぼ勉強付けの毎日でした
その顛末を書きたいと思います


今から20年近く前のことです
私は40代半ばでした


世界を震撼させたリーマン・ショック
私のいた会社は一気に業績が下降して、給料は半分となり賞与も無くなりました


社員のほとんどが切られ、最後は本業が廃業となり全く畑違いの仕事に放り出されました
それでも仕事があるだけマシだと前向きに捉えようとするも悪いことも重なりました


私もこの頃は、家計を見直し生命保険をどんどん解約、住宅ローンを組み直し、外で珈琲を飲む時は必ずお替り自由のところを選び、空いた時間はタダでできる懸賞応募ばかりしていました


この頃は私にとって、経済的にも立場的にも地獄を味わった時期でした


現状への不満と将来への不安を何とか払拭しようと自己のリカレントに取り組み始めたのもこの頃です


私の持つ資格は40代後半から取得したものが圧倒的に多いのです


さらに、48歳のときに通信制の大学へゼロ入学して4年で卒業、その後の2年で大学院まで卒院しました
卒院にあたっては社会学的な事例研究をおこない4万字をはるかに超える論文を書いたのでした



自分で目標を作り、高みを目指して努力する


その高みに到達したときにどんな景色が待っているのか想像することが私にとってモチベーションになったのでした


もっと努力して、もっと多くの機会を手にすれば、もっと経済的に豊かになれる
そして家族をもっと楽にしてあげられる
今まで自分が忘れてきたものを取りに向かう旅でもありました
そうした希望だけが当時の私を支えたのです


ほぼ毎日机に向かい教科書に取り組みましたが、実は私にとっては楽しい時間でもありました


こうした努力で資格取得だの卒業だのという結果は残りましたが、別に誰かが褒めてくれたわけではありません


しかし、苦しかった中で何とか道を切り開こうと走り続けて、純粋に努力を貫いたその期間は、自分にとってのかけがえのない勲章だったのです


自分だけの勲章・・・かけがえのないものです



今通信制の大学は山ほどあり、ネット環境が成熟したおかげで通学せずに卒業できる大学もあるようです


就職や転職目当てのリカレントならブランドを目指すという手もありますがそういうところは得てして授業料も高いのですが、ブランド目当てではなく純粋に学びたいという人なら大学4年間(編入なら2年)なら70万程度で卒業できるのです
大学院なら2年で30万程度です


私は、学びやすさ、質の高さ、学習科目の豊富さで放送大学を選びましたが、講師陣は最高でした


ブログよりも熱中できる科目や授業もあり、卒業目当てではなく1科目だけのつまみ食い学習(選科履修)もできるので、興味の沸いた方はどうぞ


90歳を超えて卒業される方もいますので、やはり学びには魅力があるのでしょう

ブログを始めました、応援よろしくお願いします

成田市公津の杜ランチ リストランテ アントン

NEO


成田市のイタリアン「リストランテ アントン」さんに来ました
エルとともにテラス席に座りました



パスタコースとピッツアコースをお願いしました


今日はかなり寒いのでテラス席は苦行です


暖かいスープで癒されました


サラダ到着


オリーブオイルたっぷりのバケット


メインのパスタ


ピッツア


ストレートティー


デザート

ブログを始めました、応援よろしくお願いします