NEOのゆとりを楽しむ生活

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仕事に明け暮れた20代の私(5)キックボクサーになる

23歳で合弁新会社に転籍してから毎晩日付が変わるまで残業ししていましたが、1年くらいすると仕事もようやく落ち着いてきました


その頃、公営住宅から建売住宅へと引っ越したのですが、会社から2t車を借り、若手同僚の男女4人ずつが手伝いに来てくれたおかげで引っ越し業者を呼ばずに済みました
建売とは言え新築ですから、女の子らはホテルみたいだと興奮してました


私も24歳で初めて念願だった自分の部屋を持つことができました(感無量)
早速、手取り給料の半分もするセミダブルベッドを買いに行きました
そう言えばベッドのコイルスプリングはトヨタ子会社のアイシン製でした




さて、仕事も落ち着いてきて、たまには定時(17:30)に退社することができるようにもなりり、日曜・祝日に加えて月2回は土曜も休めるようになり、会社の同僚と旅行に行ったり、彼女と出かけたりもできるようになりました


私はせっかく時間にゆとりもできたのだから退社後にキックボクシングジムへ通うことにしました
今思えば、日中も倉庫内トレーニングジムのような環境で働いていたのだから、これ以上身体を酷使することもなかったのですが、自分を追い詰め何かに取り組むのが好きだったのでしょう


努力の先には必ず成功が待っている、などと考えるウブな好青年だったのです


キックボクシングジムは会社と自宅の中間地にありました
入会金1万、月謝1万で、リングがひとつ、サンドバッグが二つ、ベンチプレスが一つだけありました(時代も時代ですからあまり近代的な感じではありませんね)


ジムの中は1ラウンド4分に設定されたゴングが1分のインターバルをはさんで永遠と鳴り響いていました


このジムでは会長はあまり技術に長けて無く、もう一人たまにやって来るボクシング出身の老トレーナーがいましたが、教えてもらえる機会があまりありませんでした


そのためしばらくしてから、このジムに通いながらパンチ技術を磨くために別の場所にあった国際式ボクシングのジムで元日本フェザー級チャンピオンの菊地万蔵さんが主宰するジムに通い始めました


1988年10月の県民体育大会アマチュアボクシングの試合に出場したのが25歳の時、後楽園ホールでキックボクシングのデビューをしたのは26歳の時だったと思います



仕事が残業となって、ジムに通えない日もたくさんありました
そういう時は、近くの総合運動場でよく走り込んだものです


1周4キロを2周して8キロ
仕事が終わった後の夜8時か9時によく走ってましたが、たまに彼女が付き合ってくれたりしました


ある日の夜、いつものように総合運動場の駐車場に車を止めてスウェットに着替えた後に、車のキーをランニング中に落としてはいけないので、フロントバンパーの裏側に隠し入れておきました


ランニング終了後、かがみこんでバンパーの裏側から車のキーを取り出しエンジンをかけ車を走らせると、近くで防犯パトロールをしていたパトカーが私の車の後を付けて来るではありませんか!


どうやらスウェット姿で走って来た男が車の下から鍵を取り出したのを見て窃盗犯だと勘違いしたのでしょう


私が国道に出るとパトカーは後ろから声をかけてきました
「前の車、止まりなさい!」
後ろからパトカーがゆっくり追跡してきたのを認識していた私は、片側2車線のセンターライン側の道路を走ってましたが、言われた通り私は車を止めました


すると今度は「左側に寄りなさい!」


そこで車を左に寄せて、免許証と車検証を差し出して自身が所有者であることを証明すると、警察官は手柄をあげようとでも考えていたのでしょう、少し悔しそうでした(笑)



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