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三重苦の母の介護とバカ息子

2021年12月の夕方、外出先から帰宅し自宅でくつろいでいると、慌てた様子の父親から私の携帯に電話があった


母が倒れたというのだ


父は混乱し慌ててしゃべるが、どうやら母が突然倒れ、口から泡を吹き白目をむいて意識が無いというのだ
すぐ救急車を呼ぶよう指示、こちらもすぐ車で実家に向かった(車で30分の距離)


実家に着くとちょうど救急車が到着したばかりで搬送先を探していた
脳卒中の疑いがあるということで片道15分の病院へ向かうことになった
父親を救急車に乗せ、私たち(妻も同伴)はその後を追った


病院でMRI検査をすると脳梗塞が判明し緊急手術をすることになった
実際に手術を始めたのは夜9時過ぎだっただろうか


手術の間、控室で待っていた私はこれから始まる介護生活に思いを巡らせた
手術が終わりドクターから説明を受けたのが深夜12時に近かったと思う


結果、左半身が不随となるとのことだった


病院で術後の経過観察をする最中に大腸の機能障害が発覚、認知症脳梗塞に加え三重苦の状態になった


リハビリの前に消化器系の専門病院への転院を勧められ、実家至近の病院に転院することになった
転院先の病院では約1か月間大腸の治療が施され、結局完治せぬままリハビリ棟へ移動することとなった


コロナ禍もあり厳格な面会制限のあった中で、医師の説明時に短時間の面会を許されると、衰弱しながらもごく短いわずかなコミュニケーションが取れた(ような気がした)


しかしリハビリと言っても失われた神経が元に戻るわけでもない
誤嚥のリスクがあるため流動的な食事を介助付きで食べるのが精いっぱいだった


一方、人工肛門を打診されたが、仮に付けても認知症の母が理解できず動く方の手でそれを外してしまう可能性もある
そのため慎重に検討した結果人工肛門は見合わせることにした


ところで、


2021年12月母が脳梗塞で倒れた数日後、たまたま実家で兄と鉢合わせした私は、ここぞとばかりに兄を強く非難した(このとき兄はちょうど還暦)


成人息子が2人もいる既婚者の分際で10年以上も実家に寄生し、金を浮かせて自由気ままに暮らし、親の面倒など見たこともない(見る気もない)


兄は母親が脳梗塞で倒れたことを本人の嫁に連絡したようだが、その嫁は心配することも見舞いに来ることも電話を寄越すこともなかった


そして年が明け、1月中旬に兄は自分の軽自動車で何度も往復して実家から自分の荷物を運びどこかへと引っ越していった
車で往復できるくらいの近所なんだろうが、どこへ行こうと私は関心も無かったが、出て行くついでに「これまでの迷惑料として500万くらい置いていけ」と私は心の中で思っていた


しかし、温厚な父はかなり立腹していた
その後「親子の縁を切る」とした手書きのメモが見つかったくらいだ


母親が脳梗塞の後遺症で長期の介護生活が決定的となったとたんに、寄生していた親の実家をさっさと出て行ったのだからそりゃかなり気分が悪かろう
(そんなバカ息子をタダで12年も住まわせていたのはアンタでしょ)


しかしまあ、散々親を利用してきて経済的負担を一切せず、汗もかかず、気も使わず、自由気ままにやって来て、親が倒れた直後に「ハイ、さよなら」っておまえは鬼畜か!


他方、病院はある意味冷たいところで、回復の見込みがないとなれば「早く出て行ってくれ」という話を平然としてくる


リハビリ病棟に移ってからしばらくして私は介護度の変更申請して特養を探し始めた
介護度は要介護5となり、幸い特養も実家近くに見つけることができ優先入所を確約してくれた


この頃、私は実家、病院、特養、区役所、福祉事務所を事務手続きや確認のために何度も往復したものだ
実は私はFPのため基礎的な知識は持っているが、具体的な運用や手続きについては窓口で確認するのがベストである
施設や役所も聞けば親切に教えてくれた


2022年5月末、母は病院のリハビリ病棟から特養(特別養護老人ホーム)に移ったが、万が一兄や兄の親族から面会の申し込みがあっても受け付けないでもらいたいと伝えていたが、結局、兄、兄嫁、兄の息子らから見舞いの言葉は一切なく、連絡すら来ることもなかった


そして、脳梗塞で搬送され緊急手術を受けてから約1年後の2022年12月、母は(直接的には大腸機能不全で)死亡することとなった(享年86)


(続く)





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