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特養に転居した母が死亡するまで

リハビリ病棟でも回復の見込みが薄いと退院するよう病院側に迫られる
あるいは病気やけがの理由によってリハビリ期間が決まっているのだと思う
しかし、ソーシャルワーカーの心ない伝え方、言葉の使い方によっては誤解を招く事態にもなる


病院の示した期日までには入居先(特養)を見つけて契約まで至り、2022年5月末をもって病院を退院してそのまま特別養護老人ホームに入所となった


実は父(当時92歳)は母を自宅で世話をしたいと何度か言っていた
母は認知症、脳梗塞で左側麻痺、大腸機能障害をかかえており、自宅で介護並びに医療行為など到底無理だと繰り返し伝えていた


自分で食べることも排便することもままならない人を感傷で自宅介護をしても老々介護で気力、体力が持つわけがない


まして攻撃性はないにしても認知障害、記憶障害の認知症患者なのである
いざとなったら、私(息子)が手助けしてくれると無意識に想像しているのかも知れないが、介護はいつがゴールなのか終りが見えないのである


至らない介護の日々で母に不快な思いをさせるのなら介護施設(スタッフ)の力を借りるのが最良なのである


私は特養の入所手続きを進めたが、実家近所の方の助言や施設事務方の丁寧な対応には随分と助けられた
特養入所が順番待ちと言われる中で、何よりも優先入所を確約してくれた施設には感謝でいっぱいだ


また私は母が脳梗塞で倒れた直後に仕事を辞めたが、もし仕事を続けていたらこうした諸々の手続きも無理だったと思う
父は何もできないし、兄はどこにいるかも知らないがそもそもただの役立たずだし・・・


施設入所に当たり住民票の転居手続きをするよう言われてそうしたが、これは正解だった
世帯分離(転居)をしたおかげで母は非課税のひとり世帯となり、医療費や介護費の還付対象枠も広がり、その後の給付金の対象にもなった


またこの頃、福祉事務所で身体障碍者手帳の申請も行った
年2万円程度のガソリン券を貰えることになった


高齢の親を持つ人は、同一世帯かどうかに関わらず後期高齢医療、介護等担当窓口もしくは地域包括センターの社会福祉士の方にどのようなサービスを受けられるのか相談すると良いと思う
長年払って来た保険料で受けられるサービスもある
ひょんなことからお得なサービスが受けられることだってあるのだ


自分で問い合わせをして確認し理解すること、行動することが大切なのだ
きっと皆さんが親切に教えてくれる
(最近は役所でも非正規の方が多く正規に比べてとても親切で熱心だ)


特養での生活にかかる費用については、専用車椅子のレンタル代を含めて毎月175,000円程度で、後にストマを付けてからはストマ代が約6,000円程度が加算された
更に医療費は別途4~5万円程度かかるので、合計すると高齢者の施設暮らしには毎月最低22~23万円はかかると見たほうが良い
(老人ホーム等もっとお金のかかるところもある)


結局、介護や医療に耐えうる本人の経済力、私も母が倒れた直後に仕事を辞めたが、辞めても生活できる経済力がとても大切だ
(実は私が仕事を辞めた本当の理由は「母の介護」ではなかったが、たまたま時期が一致した)


一方、母の年金が年額85万円程度(月7万)で毎月11万円の赤字で同ペースで母の預金残高は減っていった
医療費については母が加入していたかんぽで補填を受けた


施設での面会はコロナ禍もあり予約制で、しかもガラス越し面談のためコミュニケーションには難があった


7月の母の誕生日(86歳)には娘夫婦が施設に見舞いに来てくれ自身の結婚報告もしてくれたが、ガラス越しのせいなのか、脳梗塞の後遺症のためか、あるいは認知症の関係のためか、反応がない
ただ「私分かる?」と聞くと名前を言ってくれることもあった


顔は血色がよく元気そうだ
施設の中の規則正しい生活とヘルシーな食事、衛生に注意した生活等病院の中のような忙しない雰囲気ではなく穏やかな生活を送れているようだ
ひょっとすると100歳くらいまで長生きするかも知れない、などと父と話したものだ


しかし、9月になると2度目の脳梗塞で再び手術
大腸機能障害の治療をしていた病院が血液サラサラの薬の処方を勝手にやめてしまったのだ
私は担当した医師(院長)に看護師を通して苦情を言うと担当医師は私の前に姿を見せなくなった


11月には大腸機能の治療で再び入院(今度は副院長が担当)
一度退院するも12月に再入院し、人工肛門手術を受けることに
12月中旬に手術を受けたが術後の経過は悪かった
(2022年12月は見舞いに行ってもコロナ対応で制約がまだ強く自由な面会もままならなかった)


手術がトリガーになったような気もするが、施術しなくても長くなかった気もする
そして延命措置はしないと決めていたので自然に命が尽きるのを待ったが、病院から朝6時過ぎに連絡が来たのはわずか数日後で、申し送りを受けた昼番の看護師が呼吸が止まっていることに気付いたのだろう


私たちが到着した時には既に死亡していたが、医師立会いのもと正式な死亡確認はそれから数十分後のことだった


(次は葬儀の段取り)




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