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母の介護生活(1)三重苦

私自身は2021年末に59歳1か月でFIREしたのである程度の時間の融通が利く
とは言え、老犬の朝夕の散歩とその後の手入れ、日中は市場のチェックと英語学習、週末にはひとりで住む実父の家に様子伺いに行っているので意外と忙しいのだ


昨年末には実母が亡くなった


ここ数年間、母はアルツハイマー系の認知症を患い、家事も家計も料理すらできなくなっていた
そのため数年前からちょくちょく様子を見に行っていたのだ


2か月に一度認知症専門医に連れて行き薬を処方してもらい、後期高齢の定期健診に連れて行ったり、イベントごとに食事や旅行に連れ出した


コロナワクチンの最初の接種予約の時は、早朝4時に病院の正面玄関まで行き、並んで受付してもらったりもした


親が可愛がって世話をしていた超高齢犬(雑種、享年24)が21年9月に亡くなると、変化のない閉塞的な生活だと認知症も進行しやすいだろうと、近くのデイサービスを週一で依頼
(こじんまりとした一戸建ての民家でのデイサービスだった)


ある時、そこを抜け出して近所を徘徊し警察に保護され、警察署まで迎えに行ったことがある
(自分がそこにいる環境があまり理解できてなかったのか?)


警察署から私の携帯に電話がありすぐ迎えに向かったのだが、「なぜちゃんと見ててくれなかったのか」と施設責任者を責めたりもしたが、振り返れば少人数で頑張ってくれてたと思う
その後、母が脳梗塞で入院生活に入り、改めてデイサービスの施設に挨拶に訪れ、短い間の御礼を申し上げた


21年12月に母は脳梗塞で倒れ深夜に緊急手術をしてから半身不随となり、また大腸機能障害も併発して、数か月の入院生活を経て昨年5月に特養へ入所となった


22年9月に2度目の脳梗塞手術
同年11月には大腸機能障害で再入院
同年12月にストーマ(人工肛門)手術
この頃には認知症もありコミュニケーションはほぼ難しくなっていた


最後の手術が負担だったのか術後数日して体調が急変、帰らぬ人となった(享年86)


昨年の1年間は、病院、特養の手続き等すべて私がおこなったが、中にはすぐに判断や対応しなければならないこともあり、常に気がかりな状況だった


他方、老齢の実父は健康とは言え90代、自宅内で体調を崩しているところを近所の人(朝のラジオ体操仲間で体操に来なかったので声をかけてみたとのこと)に発見され救急車を呼んだからと電話が来て慌てて向かったことも(幸い大事にはならなかった)


私の家と父の住む実家は車で30分程度


もし、私が働いていたらこれらのことに対応できなかったと思う


ところで、この父母の実家につい最近まで12年も住んでいた1歳上の実兄がいたのだが、まるで何もしない人間で、10年も前に母がある事件に巻き込まれて一か月以上の入院生活を余儀なくされたときも他人事で見て見ぬふりを貫き通したのだが、まさに金も払わず、汗もかかず、気も使わずで居候以下のダメ人間なのだ


母が脳梗塞で最初の入院をしたときに、この実兄(実は妻と子2人がいるが別居)を私が実家から追い出してやった


1年後の母の葬儀(22年12月)には姿も現さなかった


この件については改めて書くつもりだ

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