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浄土宗僧侶練炭殺人事件の真相

(2023/10/10の記事の再掲)


2023年7月、墓地を開発する株式会社「鵠祥堂」の代表・齋藤竜太容疑者(50)と取締役の青木淳子容疑者(63)が足立区入谷の浄土宗寺院「源証寺」住職(当時70)を、練炭による一酸化炭素中毒により死亡させた事件がありました


浄土宗は京都知恩院を本山とする檀家・檀信徒約600万人程度の伝統仏教(私の記憶から)


そう書くと、その本山と歴史ある古刹と云う「良い」イメージで各地の住職と寺族を一括りに想像してしまうという大きな間違いを犯すことになる


殺害された背景についてもニュースになったが、寺院と石材店の関係がどんなものかを知る者に言わせれば「さもありなん」である


結論を言えば、寺の住職なんてロクなヤツがいない
出入り業者がその「ロクでもないヤツ」に擦り寄るのは自分の商売のためだ


寺の住職は子供の頃から後継ぎとして甘やかされて育てられるため、意味不明な気位ばかりが肥大化し、我が強く意地の悪い自惚れた小物が多いが、金になる木の檀家の前では良い人を演じる


親から得度(ただの紹介制度と簡単な儀式)を受けて「僧侶」となり、「修行」と言う名のただのゆるい「共同生活」を半年から1年間本山や地方の「修行」施設で過ごせば「教師(導師)」の資格をどんな無能でも簡単に得ることができる


どの寺の住職もアホの一つ覚えで高級車、特に外車が好きで大概はバレないように境内奥の車庫に隠しているのだが、私の知る住職は派手な外車(真っ赤なムスタング)をこれ見よがしに境内の通り道に駐車させて得意満面のドヤ顔でいた
(そもそも自分の金じゃなく父からの生前贈与の金を迷いもなく道楽につぎ込んだ)


勉強不足で宗教法人法、墓地埋葬に関する法律等に通暁する者は少ない
ただ惰性と慣習と成り行きで祭祀を熟し、法人運営をするが、ベースにあるのは己の金銭欲と名誉欲と色欲である


住職は金に汚いのが多く中身もないのにプライドが高いのが多い
そのため若いうちに兼職するときは人に頭を下げることが苦手なので一般的な客商売は無理であり学校の教師を選ぶのが多いのだ
(プライドは高いが人間性はセコイ)


住職には破廉恥で好色漢が多い
しかし地元での女遊びはバレると更に評判を落とすのでわざわざ遠隔地に女を買いに行ったり、こっそり愛人を囲ったりするのが常道だ
坊主が韓国に愛人を囲ったなんてこともよくある話だ


これもまた私の知る住職だが、境内奥のシャッター付き車庫から大量のコンドームを隠し持っていたのがバレたことがある
発見したのが後継ぎ目当てに結婚したタイ人妻で、怒った妻が住職愛車のBMW(当時)を鍵で全面傷だらけにしたなんて情けない話もある(その後BMWは手放した)


仏教の戒律では金銭欲や色欲等を厳に戒めているが、実際の住職連中は何のその、一般の俗人よりも低俗な世間人、俗物が多い


自分の努力で事を成したことが一度もなく、ただ世襲で後を継ぎ、勉強もしないのに一丁前の口を利く


嫉妬深く自信がないから他人の目がいつも気になるくせに他人の気持ちや痛みは全く分からない、そして強いものには弱く、弱いものには強い


檀家や檀信徒も薄々住職の本性に気付いているのだが時代を超えて存する寺院に対する尊崇から一応住職にも配慮することになる
とは言え「先生」などと呼んだりするからまた勘違いを起こす


親や先祖の作った土台の上で大した努力もせずヌクヌクと当たり前のように生活し、檀家や檀信徒を金の成る木だと見ている


そしてその手伝いをするのが石材店や仏具屋等の出入り業者である
石材店や仏具屋が住職を「先生」と呼ぶのは商売の「打算」から


石材店と仏具屋はどちらも斜陽産業で、寺や葬儀屋からの「紹介」によって多くの収益が成り立ち、紹介で売り上げにつながった場合は「紹介料」もしくは「冥加料」と称して寺や葬儀屋にキックバックが行われる


より多くの仕事を貰うためには普段から寺との関係を良いものにしておかなければならない
そこで住職を「先生」などと持ち上げ、貰う仕事をバーターに盆暮の挨拶に加え普段からヨイショすることになる
出入り業者は本音では住職は神輿と同じで軽い方が良いと考えているのである意味質が悪い


今回の事件の動機は霊園開発に関わる経営方針の違いとされる
墓埋法上霊園の経営は地方自治体か宗教法人に限られるが、宗教法人が名義を貸して石材店が主導するいわゆる民間霊園も事実上存在する


いずれの場合も持ちつ持たれつの関係でなければ霊園経営は成り立たない
まして供養の多様化、家族の在り方の変化によって継承を前提とする家墓(「いえばか」と言う)は売れなくなっており、「殿様商売」を続ける檀家の多い寺に比べれば石材店の経営は青息吐息のところが多い現状だが、少子高齢人口減少社会の到来で未来の寺も安泰というわけにはいかない


霊園開発に当たり石材店は回収のために「宗旨・宗派問わず」での売り出しを望むのは当然で、墓地が早く売れればキックバックが入る住職も条件は同じと言えるが、宗派が異なれば墓地が売れた後の葬儀や法事等収益にはつながらないため長い目で見れば寺には不利になる


今回の事件の背景にあるのは、住職が自己の打算を優先させた結果、出入りの石材店の反感を買ったということになるのだが、おそらく霊園開発にあって出入り業者同士の競争で住職が自分の私腹に適う業者を優先させ他を蔑ろにしたというのが真相だろう


霊園事業は寺、業者ともにカネになる、しかも数千万から億単位の儲けになるのだ
その事業から外されればその収益が泡と消えて無くなり、それまで傾けた努力や時間まですべて無駄になる


その怨念が住職に対して死を持って報いる結果となったのだ


私は、ある石材店が寺の依頼でとある霊園の開発をしていたが、あるとき寺の住職が身勝手に他の石材店に日和った結果、霊園開発から干されることになり、これまでの努力が無駄になるとともにこれからの収益をすべて失い、数十年に渡りこの住職を恨み続けたという事例を知っている


それだけパートナーシップが重要なのであり、他者の努力や苦労に無頓着で謙虚さに欠ける住職はこのように恨まれても仕方がない


先の記事によれば殺された住職も中々の強欲だったようだ
住職は他人の気持ちを省みることなく自己の私腹に溺れた結果殺され、商売欲しさに住職に取り入ったが梯子を外された人を見る目のない石屋は弔いを生業とする者として最もやってはいけない手段で報いた結果今後厳罰を受けることになる


仏教に三世因果の道理という考え方があるが、殺された住職も殺した石材店主も来世は業火に塗れた餓鬼道か地獄が待っている


※寺の数は全国で8万余もあり、すべての寺が経営上成り立っているわけではない
一部の檀家の多い、或いは収益不動産を持つ経済的に恵まれた寺のなまくら坊主と違い、若いときから兼業したり勉学に励む住職もいるかもしれないがむしろ希少だろう



暗い未来が待ち受ける愚か者の行く末

(2023/10/25記事の再掲)


母の葬儀が終わり、まだ済んでいない行政上の手続きや金融機関の手続き、特養の退所手続き等でしばらく翻弄された


母の残した金融資産は数百万程度あったが、葬儀と返礼品の費用を差し引いた残りと頂いた香典をまとめて父に手渡した
その手続きに際し、「(家裁へ送る予定の)相続放棄の申述書」を兄宛(葬儀後に兄から聞いた住所)に送ったのだが、母の資産を父にすべて相続させるという私の考えに同意の上、すぐに私宛に返送してきた


※本来は遺産分割協議で合意書を作るべきところ敢えて相続放棄という手法を使った
ただ、第一順位がすべて放棄をすると法律上は第三順位(第二順位はもういない)である故人の兄弟姉妹もしくはその代襲相続人に相続権が移動してしまうため私自身は放棄をしなかったが、母の残したすべての資産は父へ渡した


葬儀が終ってからも自宅には近所の方が何人か弔問に来てくれた
そして私の娘夫婦も参加の上、故人を向こうの世界へ送るための祭祀である四十九日(大錬忌)供養を自宅で無事に終えることができた


四十九日に合わせて香典を包んでくれた方に改めて相応のカタログギフトを送ったが、兄嫁と甥から連絡が来ることはなかった


他の親族は皆電話の一本位かかってきたものだが、葬儀(2022年12月30日)終了直後から現在(2023年10月)に至るまで死後供養についての問い合わせも弔いの言葉もないばかりか、連絡そのものが全くない


母の遺品整理をする過程で分かったのは、母が着物会社に勤める兄に付き合わされて多くの着物を買っていたことだ


母が亡くなった後、CMでお馴染みの買取会社に来てもらって処分したがわずか二束三文にしかならなかった
いったい買値はいくらだったのか?100万?200万?


しかし、着物類の包装を見るとこの10年ではなく、それ以前のものがほとんどだった


おそらく言われたことしかできない気の利かない能力の低い兄が会社に言われるがままに会社の売り上げのために実母を散々利用して買わせてきたのだろう
まずは身内からっておまえは生保レディーか?


父が最近よく言うのだが、兄が大学4年(私大)のときに学費として100万渡したのだが、しばらくすると大学から学費未納の連絡が来たのだと
問い詰めると使い込んでしまったことを認めたため仕方なくまた金を渡したと・・・
(30年以上も前のその話初めて聞いたわ!)


の兄は親孝行なるものは一切せず、既婚者にもかかわらずひとり無頓着に親の家に寄生して自由気ままに生活し、借金があるのにパチンコ等に興じてさらに借金を増やし、母が入院しても見舞いのひとつもせず、そして最後は母の葬式にも現れなかった


それを許した嫁も嫁だが、夫が12年もタダ住まいして金を浮かせたのだから同じ家計のアンタにもそれなりの恩恵があったはず、意味不明の被害者ヅラはやめてもらいたい


長い人生行路では自分の思うように事が運ばないことはよくある
仕事も家族も人間関係も経済生活もいつも順風満帆ではないだろう


しかし、おまえはこれまで何をやってきたんだ?
おまえは朝起きてトイレに入ったら小便に血が混じっていた!くらいの苦労した経験をしたことがあるのか?


既婚者のくせに12年も呑気に実家に棲息し、経済的にも精神的にも時間的にも何ら役に立つこともなく、うだつの上がらない生活をしてきて最後は自己破産申請だと?
そして散々利用してきた母親の葬儀にも出ないという判断をした兄


母の認知症が酷くなってきて、父が家庭の財布を管理するようになってから使途不明の出金がなくなったが、あれはおまえが関与してただろ?


家の固電に兄から金を要求する電話があったと父が言うが、あれは本当はおまえだったんじゃないのか?それを私に言われてさっさと荷物をまとめて出て行ったんじゃないのか?


また兄嫁も息子も自己主張ばかりを繰り返し故人に追い打ちをかけ、母の死後供養を気に掛けることもなく、独りになった父を案ずることもせず現在に至っている
そんな人たちが「親孝行」を口にしたことは片腹痛いとしか言いようがない


私が出している結論は、父が亡くなったときに兄へは(遺留分を除き)相続資産はないことを告げること


もう一つは、将来兄が私より先に亡くなった場合は、私は祭祀主催者(墓の名義人と同義)として当家の墓への納骨を拒否することである
(私にはひとり娘以外に家墓の承継人がいないので将来墓仕舞いをして永代供養墓に改葬するつもりだ)


多額の借金に追われ、ただ人に使われる仕事をすることしかできない、そしておそらく一生かけても無くならない借金を持ち、妻子からも愛想を尽かされている兄が将来孤独死をするか、行旅死亡人として処理されるのか、今のところ暗い未来しか待ってないが、その時が来ても兄の息子には気軽に当家の墓に入れてくれと言わないで貰いたい


他家の話だが、私はこれまで、家を飛び出し散々自分勝手な生活をし親にも迷惑をかけ続けたならず者が野垂れ死んだときに、葬式をせず、戒名も付けず、墓誌に字も刻まず、ただ事務的に墓に入れられた事例を数多く知っている


それは弔いではなく単なる「処理」に過ぎない
当家はそういう「処理」も断る


高齢となり年金だけでは生活は楽ではないから2000万の貯蓄が必要という話があった
その貯蓄がなく借金の利息だけで年金の半分以上が飛んでしまうような老後が兄は想像出来なかったのか?
もし離婚して年金分割したら年金そのものが利払いで消えて無くなる(もしくは足りない)


熟年離婚が増えているというがそれができるのは経済的自立ができる人だけだ
そもそも貧困夫婦が熟年離婚すれば両者さらに困窮するのは目に見えている
兄嫁はいずれ兄と別れるタイミングを虎視眈々と計っているのだと思う


父が亡くなれば兄も兄嫁も兄がそれなりの資産を相続できるとでも思っているのかも知れないが何とも卑しい話だ


父が持つお金は父の今の生活と将来(死後)の安寧のために使わせてもらおうと思う
汗もかかない、気も使わない連中には渡らないように手は打ってある



権利を主張するなら義務を果たせ、文句をたれるならまずは我が身を振り返れ
美辞麗句はいらないから気を使え


最後に私のモットーを再び
1.金があるなら金を使え
2.金がないなら汗をかけ(動け、働け)
3.どちらもできないなら気を使え、頭を使え

父に遺言書を書いてもらう

(2023/10/20記事の再掲)


2022年5月に母が終の棲家である特養に入所したことで、私もとても落ち着いた気分になれた
介護を含めた日常のことは施設の方に任せられるし、看護師も常駐するため健康管理もしてくれる


施設での生活の収支は毎月11万程度の赤字だったが、母の預金だけであと〇年くらいは大丈夫という見通しが立ったのは安心できた
父が将来もし施設のお世話になった場合もどれくらいの費用がかかるという目途が見えたのも良かった(父は介護、医療共に2割負担なので負担はもう少し増えると思うが)


問題なのは人の寿命は分からないということだ
特養に入所したときの母は85歳で、そのときの父は92歳だったが、要介護5の母がこれから100歳まで生きて、自立している父が明日ポックリなんてことが現実的にはあり得る


特養の費用がかかる母が長生きした場合、母の年金だけでは足らず母個人の資産が枯渇した後は当然持ち出しとなるのだが、仮に父が先に亡くなり相続が発生した場合はその遺産を使うことになる


そこで問題が一つ発生する
役立たずの兄の存在だ


母が倒れた後さっさと荷物をまとめて実家を出て行って以来どこに住んでるかも分からない役立たずだが一応相続権はある


だからと言って父と母どちらが先に亡くなろうと(少ないとはいえ)その財産の相続を野放図に主張されたら不快だろうね
兄には兄の人生があったろう、言い分もあるかも知れない、しかしお前は今まで既婚者のくせにひとりで親と同居しながら何をしてきたのだ?


特養で穏やかな生活を始めた母がこれからもずっと長く安心して生活できるために今のうちに手を打っておこうと私は考えた


そこで私は父に私にすべて相続させる遺言書を書いてくれるよう頼んだ


父の持つ資産は築30年以上の家と土地(私と50%ずつ共有名義)と地方の土地(資産価値無し)と銀行預金が1,000万円程度に過ぎなかったが、生きてる限りは年金が年額315万なので生活に不自由は全く無い


問題は高齢の父が突然亡くなってしまった場合だ


資産規模からして公正証書によらず令和2年から運用が始まった自筆証書遺言書保管制度を利用することに決め、書式要件に沿って全財産を私に相続させる旨のひな型を作り、父に読んでもらったうえで自筆で書いて欲しいと伝え、後日取りに来ると確約した

遺言書作成キット 相続13 (改ざん防止用紙・高級封筒付き 法務局保管制度対応)
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日本法令


現実的には、父母の通帳は父が保管していたが、通帳、印鑑等保管する金庫の場所と鍵の場所を私は教えてもらっていたし、父に頼まれて生活費を下しに行くことは度々あった


そういう意味では、すでに私は父母のお金を管理していると言えたし、私自身は父母のお金を当てにすることはなかったが、介護や医療を含む親の生活に関わるお金はすべて親のお金で賄って欲しかった


しかし、母の見舞いや面会は私が中心に動いており、万が一父が先に亡くなり施設の母が長生きしたとしたら、私が母の穏やかな生活を保障し、仮にお金が足りなくなったら私自身のお金で支えていこうとも考えていた

数日後、父が自筆してくれた遺言書を持って父を連れて、地方法務局まで赴き保管の手続きを行った
費用はわずか3,900円である
遺言書の手続きと言う厳格な法律行為にしてはずいぶんと安い


父の財産は現金と不動産のみで合わせて約2,000万円程度だが、役立たずの兄には遺留分だけが残された形だ


私に言わせれば兄には遺留分の価値すらないが、将来父が亡くなったときに遺留分侵害額請求権(旧遺留分減殺請求権)を行使するだけの知識が兄にあるかどうかは知らないけど、正直どうでもいい


と言うのも、父の遺言書では私を遺言執行人に指定してもらっているが、初めから遺留分を兄に渡してもいいし、請求してくるのを待ってもいいし、時効(10年)で消滅してしまってもいいし、今のところ兄の将来の態度で決めようと私は考えている


これを書いている2023年10月現在、母は既に死亡し、父は介護の世話にもならないほど元気で頭もしっかりしている


母が死亡後、母の預金はすべて父に相続させ、それも含めて父は自分のお金を自分で管理しているが、定期的に私が記帳し、頼まれて必要な生活費を私が下しに行くという生活は相変わらずだ


そして父には「今あるお金はすべて使い切ってしまって構わない」と私は伝えている





高齢の親を持つ人が絶対やるべきこと

(2023/10/08記事の再掲です)


高齢の親を持つ人が親の生前に何よりもしておいたほうが良いことがある
銀行、証券、保険等金融資産(口座情報)の把握をすることだ


私は、母親が認知症になってしばらくしてから(母が82~83歳、父が90歳前)、両親の金融資産を把握すべく動き始めた


元々両親の家計は母が担っていて、以前母が土佐犬咬傷事件(改めて書く)で長期の入院を余儀なくされたときは父は通帳や印鑑の場所すら知らず、私が当面の生活費を父に渡したくらいだった
このとき兄は既に実家に寄生していたがもちろん全く無関心で自分だけを見つめて生きていた)


母の認知症が進行し金銭管理ができなくなってから父が通帳や印鑑を管理するようになったのだが、果たして今父が持っている通帳が全てかどうかも分からない
何十年も母親任せでやってきたのだから、どこに口座があって、どんな保険を契約しているかなんてさっぱり分かってないのだ


2人の生活は父の年金(年額315万程度)で賄っていたので、母の年金(年額85万程度)は「全く手つかずで残っているはずだ」などと父は言っていた


父の年金が315万とは意外に多いのは、一般に年金が多いと言われる年代だし、60歳で会社を退職後しばらくは会社の仕事を請け負いながら収入を得て厚生年金を繰り下げたためだ
更に企業年金が終身で年額30万以上もあり我々の年代からすると羨ましい限りだ


母の国民年金が満額というのもたいしたモノだ
国民皆保険になる前から未納なしで若い時の厚生年金も含めて年額85万


子を持つ親は年老いて介護で共倒れなんてことのないよう年金だけはきちんと払っておこう


さて、私は周辺の銀行等に父母の取引口座がないかどうかを当たり始めた(あるかないかの現存確認
例え息子でも昨今の金融機関は個人情報に厳しいので、父母を同伴のうえ、印鑑や健康保険証(母は免許証は不所持)、委任状や親子関係の分かる戸籍等必要な書類を揃えつつ預金、証券、保険等の現存確認をしたのだ


結果、父母名義の取引先の口座情報等をすべて把握することができた
金融機関はそれぞれが1~2行取引をするだけで保険加入はあったが証券はなし


ついでに父が80代で加入していた医療保険を解約(担当者が不貞腐れた様子で確認電話を寄越したが、身勝手な保険営業に付き合う気も無駄金もないので解約してよかった)


問題は母名義で加入していた簡易保険が3つもあったのだが、うち2つは母が認知症をすでに発症していたにもかかわらず簡保のスタッフが強引に締結したもので本部にクレームを入れておいた
後のひとつは途中解約が不利になる可能性があったため母の死亡を持って終了となった


父は年金から所得税・住民税が源泉されていたが後期高齢医療介護保険は口座振替だったため所得控除の対象から外れ毎年余分に多くの税金を納めていたので、私が父のマイナンバーカードで過去5年分を修正申告をしてあげたら40万円以上も父の口座に返ってきた
(修正申告は過去5年まで遡れるがそれ以前は時効となる、したがって約20年分250万程度を還付し損ねたことになる)


ちなみに、今は父名義の銀行通帳をたまに記帳しその入出金と残高をすべて把握しているが、別に財産を残す必要もなく使い切って構わないと伝えてある


父は今年94歳(2023年)になるが自立して生活しており、要支援1を取得はしたが実際には年齢の割には健康体である
妻と二人で毎週末父のところに顔を出してる
本人も老人ホームへの入所を口にしたが、ケアマネの勧めでデイサービスを見学に行くも全く面白くなかったようで、現時点老人ホームに入っても退屈するだけだろうと思われるのだ

FIRE後の生活

私は自己紹介欄にも書きました通り、59歳1か月でリタイアしました
59歳でのリタイアはアーリーリタイアとは言えない気もしますが、ファイナンシャルインディペンデンスが重要という視点で書いてみます


リタイア後、株の配当収入はありますが労働収入はゼロ、年金受給まであと数年という状況で現在に至ります
(私の年齢では60歳代前半の特別支給の老齢年金はありません)


よくいる「仕事が本当に嫌いです」系ではなく、働くこと自体は好きな方だと思います
また、嫌いなタイプの人は一定数いたものの「人間関係がどうしても苦手」系でもなく、自分の目標を決めて邁進している限りは気にせずやっていくことも可能でした


では何故辞めたのか、それは職場内でウンザリすることが重なったからでした
(当時、三つ仕事を掛け持ちしてましたが清々しいほど一気に手放しました)


一般的には生活していくためには稼がなければならず、辞めるという判断は一番最後になるはずで、転職が前提の場合なら用意周到準備をしてから辞める人が多いでしょう




私の場合、経済的なバックグラウンドがあったおかげで辞める決断ができたのですが、辞めることを前提に金融資産を作ることを目標にしたことは一度もなかったし、できれば62歳とか65歳とかまで働けるならその方が望ましいと今でも考えています


つまり、「FIRE」という造語ですが、大切なのは「FI」の方で「RE」は個人の価値観ですから勝手にすれば?レベルの問題です



FIRE関連のブログを読むと、自力で資産形成に成功した人は家計の管理がしっかりしていて謙虚な感じがしますが、遺産相続等他力で資産を得た人ほど理屈っぽい主張が強い気がします(逆のような気もするのですが)


また実際に生活していくうえでの支出が月に10万とか20万とかって細々と公表している人もいますが、私に言わせればあり得ない
普通に生活していれば30万~40万位はかかると思います


また、独身、結婚してても子なし、という人の資産形成術はあまり参考にはならない


あるブログで、独身なのでこれまで子持ちよりも多くの税金を払ってきたという記述があって驚いたことがありますが、少なくとも子育て、教育にかかわる費用は莫大で子持ち世帯は投資の積立資金を捻出するのも極めて困難な時期があると思います


そういう意味で、子持ち世帯と独身者やDINKsとは資産形成において、あまり比較をすることに意味を感じません
(実際ブログで発信している人は独身者やDINKsが多いような気がします)



私が辞めたのは59歳ですからアーリーリタイアというには微妙ですが、現実的に辞めてしまった以上、もうこれから働くことは多分ないような気がします


実際には辞めて2か月後に家裁の調停委員に応募しようかと履歴書と職歴書まで作ったことがありますが、結局応募書類を出すに至りませんでした


他人の軋轢に首を突っ込むのはポジティブではないと判断したからです


また、私は大型二種を持っていますので人手不足の業界に少しでも貢献できるかもしれません
ただ実際には行動したことはありません



このようなことを考えてしまうのは、基本的に働くことが好きなのだからと思います


しかし、これまで40年近く週休二日も知らずに明けても暮れても働き続けてきた自身へのアンチテーゼを突き付けて我を通したい、そんな自分が今は存在するのです


投資信託クリニックのカン・チュンドさんがブログで「特にリタイアしたての頃は、『ヒマ耐性』があまり高くない」と上手いことを言っておられますが、私の場合は「働かないという贅沢」を堪能し続けることで、これまでの自分の心をリハビリしようと思っているからなのです