好きな思考、嫌いな思考
人は誰でも自分のポジションを持っており、その感性や思考はほぼそのポジションを肯定するものです
私はこれまで相続等で資産を受け継いだこともないので、正の相続をした人を見て「何の苦労もなく親からタダで資産を貰いやがって」などと平気で考えてますが、その考えに与しない人も多くいるでしょう
「親の面倒を見て来たんだから当たり前でしょう」などと思う人がいるのだけど、親孝行って金に換算すべきものなのか、金銭を超えたところに孝行ってあるのじゃないのかという考え方もあるわけです
長く親の面倒を見てきてその努力をお金に変えられなかった(相続資産が無かった)人は大勢いるし、そもそも親の面倒を見る機会が無かった人、見る気も無かった人もいるでしょう
そういう意味で、親から相続資産が得られた人は極めてラッキーで、「何の苦労もなく親からタダで資産を貰いやがって」と考える私の思考は正しいものと思っています
また、遺族年金や3号年金を不公平だと考える人もいると思いますが、そう考えるのはその恩恵がない人にほぼ限られます
皆さん自分のポジションを中心に考えているのです
私は、政治家、宗教家、経営者等、すべての世襲を法律で禁止にしてしまったほうが良いと考えていますが、その恩恵もしくは既得権のある人にとっては「とんでもない」となるのは明らかです
しかし世襲の政治家、宗教家、経営者には苦労のない無能力者が多いような気がします
(もちろん例外もいます)
身勝手な特権意識を持ったそうした連中が集まると、ときの華をかざしにして空世辞のやり取りに互いに憂き身をやつし、そんな中からあぶくのような文句を覚えてきて、物事を地道に考える落ち着いた苦労人たちの目を眩まそうとしています
私は、法人税や所得税を下げて、インチキがしにくい消費税をもっと上げるべきだと考えていますが、これも賛否両論でしょう
(消費税も預かり金をごまかすという悪手があります)
本来こうした利害あるイシューを判断するのは政治の仕事なんですが、自分の私欲を優先する政治家にそんな判断ができるわけがありません
かくして、どの政党なら被害が少ないかを考えて人は投票し、薄っぺらで中身が無い連中が住んでいて御利益がないのは知ってるけど慣習にのっとり寺や神社の賽銭箱に小銭を投げ入れている人が多いのです
寄付金も名前が刻まれて始めて溜飲が下がる人もいるはずです
私も若いときは、その純粋さゆえに思想が左に向いたことがあります
かつての私の場合は穏健左翼でした
具体的には、PKO法案に反対し、靖国参拝にも躊躇するものでした
しかし、30歳を過ぎて理想よりも現実志向が強まると、思考も徐々に右傾化し、今では若干右寄りを指向しています
文豪ゲーテが「熱情家は30歳で十字架に架けよ、かつては欺かれた者もひとたび世間を知ると悪者になる」と書きましたが、よく分かる気がします
個人的には、40歳を過ぎても左翼思想に取り付かれているのは「ほぼ病気」だと看做していますが、それぞれの人生行路、それぞれのポジションを考えれば、それもひとつの解だと考えられるようになりました
それでも私には私の人生行路があって、現在の思考と感性があるのですから、私にとってはそれが正解ということになるのです
人は自分の人生の主役のはずですが、何故か思ったように人生を生きられない
思うがままなんて1割もあるのか?と思います
人は誰でも「承認欲求」がありますが、それが非常に強く出るタイプの人もいます
また、歳をとっても「承認欲求」の塊のような鬱陶しい人もいます
しかし、自分の人生行路の製作、監督、主役は自分なのですから、自分にとって都合の良い人生を歩みたいものです
「スタートレック宇宙大作戦」のタロス星のパイクとビーナの物語はひょっとすると人間の理想の生き方なのかもしれません(私はトレッキーです)
パイク船長 スタートレック ディスカバリー