NEOのゆとりを楽しむ生活

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食べれば幸せ(6)隠れ屋敷 典膳

NEO


伊予が岳を下山し、大ソテツを観賞した後、南房総市内の「隠れ屋敷 典膳」さんへ向かった


南房総の秘境に位置し、完全予約制の食事処だ
テレビの取材や芸能人もよく来るようだ


国道から案内看板に従い脇道に入り山道を進む

車が来たらすれ違いも出来ない道を永遠と進む

結構距離があるが看板があるので助かる

奥深い山奥に現れた典膳

門横の湧き水は煮沸して飲める

周辺にはハイキングコースもあるが土砂のため現在通行止めになっている

門前の庭先

良い感じです、入りましょう

さて、二階の座敷に通されました
木炭にはすでに火が通ってます

私は御殿山コース5700円、妻は海鮮コース5400円
エルは車内で留守番

雰囲気に押され、普段はやらない昼酒を頼む
嬉しい 赤星!!

焼いてる間に先付け等をいただく

居心地が良いなあ
美味いなあ

ドレッシング等地産地消で

とろろご飯

最後はデザート

古民家落ち着きます


​​― 隠れ屋敷 典膳(てんぜん) ―
住所:千葉県南房総市宮下1822
tel:0470-46-4137
完全予約制 不定休
営業時間 昼11時30分から15時 夜17時から21時閉店(最終入店19時30分)

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南房総市 伊予ヶ岳に登る

NEO

先週の富山(とみさん)に続き、同じ南房総の伊予ケ岳に登ることにした(愛犬エルも一緒)


千葉県で唯一「岳」のつく山で、「山」ではなく「岳」なのは、峻立した岩峰を特徴とする山でそれだけ険しいということ
山頂に至るにはロープや鎖を手にして注意して登らなければならない


標高336mで登山道は整備されている
週末の天気を確認し、予定を組む(今回は山頂付近に鎖場があるので手袋を持参)


いつも通り8時到着を目指して自宅を出発し、途中のコンビニで朝食を買って登山口に至る


登山口にある平群天神社(へぐりてんじんじゃ)
無料駐車場はここにある

妻が安全を祈念している

片道1時間程度なのでゆっくり歩きたい

エルも楽しそう

楽勝だぜ

空気も美味い

たまに足もとが悪くなる

分かりやすい看板

高尾山や筑波山と違って登山者も少なく爽やかさ満点

写真ばかり撮る私

次第に道も細くなる

看板に従って歩く

こんなところも

あんなところも

だいぶ登ったね
見晴らしの良いところでスナップショット

先週登った山が向こうに見える

こんなところも

ハイキング気分はここまで
いったん休憩!

ここから先は難所、岩場、鎖場となる(危険!)

写真で見るより実際はかなりの傾斜

転落死亡事故もあったようだ

もちろんエルはおぶい紐で抱っこ

険しい傾斜、ロープなしでは登れない

万が一転落したらただでは済まないだろう

ようやく山頂到着!

最高の景色が待ってました

360度の絶景

山頂の景色にエルも陶酔する

下山も
楽しく

スタートから往復で2時間弱の丁度良い運動です

平群天神社参道にそびえる夫婦クスノキ
樹齢約千年言われる巨大樹

おまえはそれほど疲れてないはずだ

天狗伝説が面白い

その後、JR岩井駅近くの無料駐車場に車を停めて大ソテツを見に行く

途中にあった伏姫と犬士

さて今日のランチは山奥だ!

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夜逃げした結婚式の仲人

NEO

私たち夫婦が結婚したのは1991年(平成3年)のことだ
バブルの最末期で株価は既に頂点を極め、中東では多国籍軍がペルシャ湾を取り囲む危機を経て湾岸戦争が勃発した年だった


私が社会人になったのはそれより数年も前の話で、G5(当時)によるドル安を容認するプラザ合意によって円高が加速し「円高不況」と呼ばれた頃だった
「米国の双子の赤字」、「日米貿易摩擦」、「ジャパンバッシング」なる言葉がテレビやラジオで流される日々だった


その後日本は円高不況を乗り越えてバブル景気へと邁進していく


バブル時代の私はまだ20代の若僧で、何かと世の中は騒がしい、会社は儲かっているみたいだという感触はあったが、個人的にはバブルの恩恵などあるはずもない


当時は土曜日は普通に出勤日だったし、休みは日曜祝日のみ
毎日忙しく深夜まで残業して日曜祝日も忙しく出勤させられて、ひと月の残業時間が170時間を超えたこともある
(手取りの給料が残業代を含めて27万もあると喜んだ無邪気な私がいた)


24時間働けますか?」なんて言葉がCMに流れ、気の良い私は時の上司にも乗せられ、楽しく嬉々として会社に通いつめ、極めて安い給料で奴隷のように働かされた


繰り返すがバブルの恩恵など微塵も無かった


働く現場としては、毎日かなり忙しく、自動車部品の倉庫の管理をしていたため、言ってみれば肉体労働で日々2万~3万歩も歩くハードな仕事生活であった


更に、1985年の男女雇用機会均等法の成立により社内外で女性が相対的に強くなり、地味な女性よりも自己主張の強い派手な女性が際立つようになってきた
マハラジャジュリアナが流行ったのもこの頃だ



後に結婚式の仲人を依頼することになったWさんと知り合ったのは、バブル景気を迎える少し前だった


当時、私は自動車部品のルートセールスをしていて、Wさんはその配達先の中古車屋で修理工として働いていた
私より年上で、ざっくばらんで愛嬌もあり、商品を届けるといつも気やすく声をかけてくれた


バブル景気を迎えて世の中の経済状況が上向くと、Wさんは脱サラして自ら中古車業を始めた
社名は本人が好きだったアメリカのTVドラマのタイトルをそのまま付けた


当時私のいた会社の中にも会社を辞めて中古車会社を立ち上げる人が他にもいたので、うまくやれば儲かる業種だったのだろう


業績は良かったようだ
たまに私は遊びに顔を出していたが、綺麗な受付のお姉さんがいて、仕事も上手く回しているなあという印象だった


あるとき、飲みに行こうということになって付いていくと、スポーツクラブの支配人のような人も合流し、浦安、行徳あたりの女の子のいる店(パブ)を何軒かハシゴした


そして支払うときに目にしたのが、上着の内ポケットから札束を出し払っていた光景だ(まさにザ・バブル
若造の私はとても驚いた


1989年大納会、日経平均株価は最高値を更新したが、これが天井だと信じる者はいなかった
(若造の私には株など無縁の世界だったが・・・)


この年は日本にとっても世界にとっても変化の年であった
昭和天皇が崩御され元号は平成になり、消費税がスタートし参議院では自民が大敗しておたかさんが「山が動いた」などとうそぶき、美空ひばりさんが亡くなった
世界ではベルリンの壁が壊され冷戦終結、中国では天安門事件が起こった


翌1990年になり、先行指標である株価が前年高値を回復せずとも、日本社会はまだ浮かれていた


人手不足の企業はリクルートの学生らを歓待し、一線を越えてご馳走したり金を渡したりしたものだから、増長して入社したこの頃の社員連中にロクなのはいない


そして1991年を迎え日本経済の足取りは少しずつ変調していくが、浮かれた人たちに本質を見極める術などない


なぜなら日本はジャパン・アズ・ナンバーワンなのだ


そしてこの年、私はWさんに仲人を依頼し1991年3月につつがなく結婚式をあげた


しかし、私たちの結婚式披露宴をサポートしてくれたWさんにとっての仕事生活の終焉、迫りくる足音にすら本人自身も気付いていなかったのだ


それから数か月後


私は社内の異動で特販部品の営業となり、当時出回り始めたポケベルを持って外回りをする日々だったが、その頃からWさんからたびたび連絡が入るようになった


何にでも使えるカードがあるんだが買わないか?100万でOK!」といかにも胡散臭い


その後も繰り返し連絡が入り、「金を貸して欲しい」「いくら動かせる?」などとしつこい


仲人をしてくれた人でなければ無視するところ、思案して「10万なら」と伝えたところ、すぐに食いついてきた


「じゃ、今すぐ〇〇に来てくれ!30分で来れるだろ!」と一方的に言われて、しかたなく金を持って現場に行くとWさんは既に待っていた
そして金を渡すと、ものの数分でWさんはその場を離れ行ってしまった


以来、仲人Wさんとは会っていない
もう30年以上になるが、連絡もなく今に至る
住んでた家には一度様子を見に行ったが、誰も住んでいないようだった


お金は渡そうと思った時点で既に諦めていたが、仲人までしてくれた人が誰彼構わずターゲットにして奔走し、最後は行方をくらましてしまったという状況に、何だかひどく寂しいものを感じる


当時は金利も高く、ヤバい金に手を付けて逃げ回っていたのかも知れないが、貧すれば鈍するとはこのことで、Wさんは今頃どこで何をしているのだろうか?


生きているのなら「あの時は申し訳ないことをした」くらい言えばいいのに・・・
などと思ったりするが、そもそもそんな善人だったら金を持ち逃げしたりはしなかっただろう

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食べれば幸せ(5)千葉たかおか

NEO

八重洲のミッドタウンにある「千葉たかおか」さんに初参上
千葉市にあったときには一度訪店しているが、コロナ禍もあって3年半ぶりとなる


17時からの予約なので早めにエルの散歩を済ませる


ミッドタウンに到着したが少々早かったので5分ほど外で待機
時間を待ってにじり口を入ると別世界
最近の寿司屋の入り口はこうした風合いが多い


カウンター6席のみの店



まずはビールを頼むが瓶ビールしか置いてない
生派の妻と違い私は瓶派なので少し嬉しい
高級店には生ビールは置かないということか?



先付け、口の中でとろけそうな煮蛸と、特に日本酒との相性抜群のガリ




私は冷酒に移行


これも舌の上でとろけるように柔らかい銚子の

まるで公家が食べるような富津の赤甘鯛

飛露喜も特別純米から黒ラベルへ移行
段々酒も加速し陽気になり始める私

何と贅沢な味のあん肝

富津の縞鯵のネギ和え

目の前でさばきます

箸置きにも名前が

食べるより進む冷酒(笑)

カラスミ味噌漬け

鯖棒鮨

さらに進む冷酒

小肌

鴨川の縞鯵

ペースアップ

本鮪の中トロ

本鮪の大トロ

富津のイカ

かなり酔ってます
まだ飲むか!?

富津の煮穴子

えっと、真鯖

雲丹

あがり(酔い冷まし)

富津の車海老

味噌汁(上品)

不覚にも酔ってしまった(かなり)
支払は二人で77,950円
良い(酔い?)経験でした(笑)

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シャーロキアンの私

NEO

実は私は、シャーロキアンである
シャーロキアンとは、シャーロック・ホームズの熱狂的なファンのことである


当然、NHKで放送されたジェレミー・ブレット主演のDVD-BOX完全版も持っている
ロバート・ダウニー・Jr.が主演した映画「シャーロック・ホームズ」はどちらかと言うと苦々しく見ている

シャーロック・ホームズの冒険 全巻ブルーレイBOX [Blu-ray]
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Happinet(SB)(D)
DVD


ところで、


若いときは金もなく、買う本は大体文庫本でいつも外出時は持ち歩いていた
文学なら新潮文庫、哲学なら岩波文庫、評論なら岩波新書が多かっただろうか


いつもズボンの尻ポケットに入れていて、待ち合わせでのスキマ時間などに数ページずつでも読み進めたことを覚えている


そうした中で、ドストエフスキーやチェーホフ、ディケンズやモーム、スタンダールやバルザック、ヘミングウェイやフォークナー、鴎外や漱石などを読んだものだ


そして、私が若いときにハマったのがサー・アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズのシリーズだった
ドイルの書くホームズの世界観にどっぷりと酔いしれた


そして海外の行きたい場所といえばロンドンのベーカー・ストリートだった
(残念ながらベーカー街は実在しない)
オンライン英会話ではよくこの話題で話をする


医師である友人ワトソン氏が言うホームズの特徴をここにあげてみる
※「緋色の研究(延原謙訳)」より


1.文学の知識 皆無
2.哲学の知識 皆無
3.天文学の知識 皆無
4.政治上の知識 微量
5.植物学の知識 (略)阿片、その他一般毒物には通暁すれども、園芸に関しては全く無知
6.地質学の知識 実際的知識はあれども知るべきのみ、一見して各種の土壌を識別、散歩後ズボンの跳泥を私に示して、その色と密度によりロンドン市内のいかなる方面でつきたるものかを指摘したことあり
7.化学の知識 深遠
8.解剖学の知識 精確なれども組織的ならず
9.通俗文学の知識 該博なり、今世紀おこなわれた恐るべき犯罪はすべて知悉するもののごとし
10.ヴァイオリンを巧みに奏する
11.棒術、拳闘および剣術の達人
12.英国法律の実践的知識深し


あと、私の記憶だが日本の柔術(柔道)の達人でもあった


いわゆる専門バカのようなものだが、その道ではその能力をいかんなく発揮する


そして、(どの短編に書いてあったものかは忘れたが)ホームズの言葉で
「たった一滴の水より、末には太平洋の存在をも推測しうる」(私の記憶から)というような壮大かつロマンある言葉に魅了された


私が社会人になって最初に勤めた会社がトヨタ自動車の子会社で自動車部品を扱う会社だったが、その部品が大量に保管される倉庫で部品を出庫する際に現品が見つからなかった場合の探す役割を与えられていた


そして、その仕事を全うするに当たりホームズの思想が大いに役に立ったものだ


ホームズ曰く、「考えられる原因を一つ一つつぶしていって、最後に残ったものがたとえどんなに信じ難いものだったとしても、それが真実である」という思考のもと、散々探した結果見つからないのは、そもそも発送元のトヨタの部品工場から発送されてないのではと疑い、相手担当者に連絡すると実際そこに未発送のまま取り残されていたなんてこともあった(先方の担当は私の指摘に非常に驚いていた)


私は、そうした自分の経験に基づいた現場での実践的な対応法を具体的にレポートにまとめておおもとのトヨタ自動車に改善提案をすると表彰されることになり、他の部品会社からも見学ツアーが組まれることにもつながった


これらの発想は、一世紀の時を経てドイルの描いたホームズの思考法から学んだものであり、そういう意味では私はシャーロキアンだと言い切れる


シャーロキアンとはシャーロック・ホームズの熱狂的なファンを言う

シャーロック・ホームズ スペシャル 2023年9月 (NHKテキスト)
シャーロック・ホームズ スペシャル 2023年9月 (NHKテキスト)
NHK出版

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