NEOのゆとりを楽しむ生活

株式投資、英語学習、グルメ、旅行、愛犬とのシニア生活

千葉県銚子市と旭市の名所に行く

NEO


前日に雨が降ったため山登りは控えて、海へ行こうと計画した
そこで銚子の犬吠埼を目指して家を出た
(何十年ぶり?小学校の修学旅行で銚子大橋をバスで通った記憶はあるが・・)


土曜の朝ともなると京葉道路下りの房総方面は混むが、なんとナビを見ると東関道を北上し茨城県の潮来ルートを示していた


ナビ通りに進むと潮来市街以外はスムーズに走り、犬吠埼灯台の開館時間8:30より少し前に到着した

しかし犬吠埼灯台は文化財のため犬は抱えていても入館不可
南房総市白浜の野島崎灯台もペット連れ禁止なので覚悟はしていたが、犬の入館を禁止にするなら犬という名を冠するなよ!と心の中で叫びつつ「せっかく100キロ以上も車を走らせてきたのに!」などと嫌な空気は一切出さずに、爽やかに周辺を歩くエルと私

エルも潮風に気持ちよさそう

犬吠駅

車で移動して犬若漁港にある犬岩
犬若(地名)の犬岩(岩に命名)って銚子市民はなんと犬が好きなことか!?

犬岩だけにエルも一緒に

九十九里の北端にある屏風ヶ浦へ、素敵な名前だ

横に広がる浸食された土壁

今度ゆっくり歩きたい海岸沿い

旭市に入り飯岡の刑部岬へ

少し小さいが灯台もある

広がる風景、東日本大震災で津波被害にあった場所だが今その面影はない

展望館

なんと矢吹丈(漫画家ちばてつやが子供の頃に一時住んだようだ)
もう少しリアルなほうが良いと思う
近くには力石徹のオブジェもある

お昼に近いのでこの後予約した店に移動

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バカ女とクズ男

NEO

K子といういい加減だが打算的な女がいた
東京で食い詰め、親が金を持っていると知った途端に穀潰しの内縁の夫と同籍になり、親の地元に移り住み、「親孝行まがい」のことを続けて財産を手にすることに成功した人なんだが、私とは相性が合わなかったんで絶縁している


K子は大学を中退し東京に出て生活、いつの間にか同じアパートのE男と同棲するようになり、事実婚の関係を続けた


50歳になる頃、自身の父親が80歳を超え足腰が弱り日常生活に支障をきたすようになると、母親から「帰ってこないか?」という連絡が入るようになる


しかし、東京生活にも慣れ、親しい友人たちも周辺にいるため帰郷なんてとんでもない
同棲する男との生活は楽しく、貯金もないが自由気ままな今の生活が性に合う


急な出費が必要になれば実家に頼めばすぐ送ってくれるし困ることは何もない
だから帰って来いと言われるたびにのらりくらりと曖昧な返事を続けた


あるとき同棲相手のE男が会社を辞めて家に引き籠るようになった
するとたちまち経済的に困窮したが、実家の母からの仕送りをねだりながら、その要請を断りつつ、東京を離れようとしなかった


そんな生活を半年も続けたある日、K子は母親との話の中で父親が億単位の金を持っていることを知る
そして母親の話に乗った方が得じゃないかと考えた


その頃から、K子は「親孝行」を頻繁に口にするようになった
そして実家に戻ることを母親に伝えた


急遽、K子は同棲するE男の籍に入りE男の姓を名乗るようになる
そして、親の計らいで父の所有する実家近くのアパートに無償でE男と移り住んだ
ちなみに二人には子供はいない
(子供もいない住宅ローンもない夫婦が50歳前後で貯金もないとは、余程だらしのない人生を送ってきたのではないだろうか?)


以来、父からは毎月16万、母からは小遣いを貰いながら、週2回父のお風呂の介助と夕方のご飯の支度をするようになる(親孝行というより労働である)


一方、E男は相変わらず仕事をせず、K子のヒモ、ひいてはK子の両親のヒモとして引き籠り生活を続けた


K子の母親は、K子に父の夕食の費用として毎回お金を渡していたが、K子がそのお金で自分の家の食料品も買ってしまうことから「いつも自分の家の分まで買ってリュックをパンパンにして帰っていく」とよくこぼしたものだ

あるときE男の実家島根の父親(母親は既にいない)が亡くなった
本来長男であるE男が喪主をすべきところ、E男には帰郷する金すらない、K子も金がない
そこでK子は母親に泣き付いて50万出させてE男に貢いで実家に行かせ葬式をあげさせた
(自分の親の葬式代も義親に出させる)


実はE男という男、10数年前にも消費者金融で300万もの借金をかかえて首が回らなくなり、K子の要請でK子の母親に肩代わりをさせたという前科がある(返済してない)


自分の実家の葬儀の費用を義理親になったばかりの高齢者に出させる神経には驚くが、K子の母親はその後「K子が悪いんだ」「K子を呼んでしまったのは失敗だった」とこぼすようになった


その後、一切働かないE男に対し、K子の母親は地元の働き口を何度か紹介したりするのだが、E男は一切無視してK子とともに自由気ままな生活を謳歌し続けた


母親はK子に生活改善とE男に働くよう促したが、いつもK子には調子よくはぐらかされた
「K子には何を言ってもケロっとしている」とよく愚痴を言った(聞かされていたのは私)


そしていつの頃からか、E男は義両親に疎まれ義実家への出入りを禁止されたが、K子とE男が別れることはなかった


K子が実家近くに戻り5年を過ぎるとK子の両親は別々の施設に入所をしたが、K子は親からお金を貰う生活、E男は働かない生活を続けた
(この頃にはE男は働いたら負けだと考えていた)


2人とも表面上は無職無収入なので、所得税、住民税、国民健康保険、国民年金を一切払わず、親から貰うお金でヌクヌク暮らし続けた
親が亡くなればいくら入るという算段は出来上がっていたので、住民税非課税世帯のメリットをたっぷりと享受しつつ働こうという考えは一切持たなかった


K子は長くフリーランスだったが歳を取ってからは活動を停止しており、これまでも国民年金はバカバカしくて払ったことは一度もなかったため、今や親からの遺産だけが将来の糧になっていた


子供がなく教育費の負担に追われた経験もなし、親元に来てからはタダで親の所有するアパートに住み、将来貰える年金はなくても親の遺産が転がり込んでくる
教住老の負担ゼロ


K子が親元近くに越してから7年が経ち、父親が老衰により亡くなり、K子は数千万の相続資産を受け取った


お金が入りK子とE男は働くつもりは一切なかったが、無職という響きに抵抗があり、相続手続きを担当した税理士に頼んで会社を作り2人で役員に収まった


定款にはE男が以前会社員として働いていたときのイベント関係を登記したが、時はコロナ禍でイベント業は壊滅していたが、実業の意志はそもそもなかったのでどうでも良く、ただ肩書きが欲しかっただけ


コロナ禍で明日の生活に不安な庶民が多くいた中で、何と世の中を舐め切った連中だろうか


父が死んでから今でも現在92歳の母親からK子に毎月生活費が渡されている


そして母親の二次相続になればK子には再び数千万の金が入る予定


まともに働かず、税金や社会保障等もまともに払ってこず、いい加減でだらしがないバカ女と穀潰しのクズ男


K子が親から得た金はE男の遊ぶ金に流れており、更に、K子は実は新興宗教団体で活動しておりこの宗教団体へも流れていたとみられる


きっとこの連中には不幸な余生が待ち受けているはずだ

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食べれば幸せ(6)隠れ屋敷 典膳

NEO


伊予が岳を下山し、大ソテツを観賞した後、南房総市内の「隠れ屋敷 典膳」さんへ向かった


南房総の秘境に位置し、完全予約制の食事処だ
テレビの取材や芸能人もよく来るようだ


国道から案内看板に従い脇道に入り山道を進む

車が来たらすれ違いも出来ない道を永遠と進む

結構距離があるが看板があるので助かる

奥深い山奥に現れた典膳

門横の湧き水は煮沸して飲める

周辺にはハイキングコースもあるが土砂のため現在通行止めになっている

門前の庭先

良い感じです、入りましょう

さて、二階の座敷に通されました
木炭にはすでに火が通ってます

私は御殿山コース5700円、妻は海鮮コース5400円
エルは車内で留守番

雰囲気に押され、普段はやらない昼酒を頼む
嬉しい 赤星!!

焼いてる間に先付け等をいただく

居心地が良いなあ
美味いなあ

ドレッシング等地産地消で

とろろご飯

最後はデザート

古民家落ち着きます


​​― 隠れ屋敷 典膳(てんぜん) ―
住所:千葉県南房総市宮下1822
tel:0470-46-4137
完全予約制 不定休
営業時間 昼11時30分から15時 夜17時から21時閉店(最終入店19時30分)

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南房総市 伊予ヶ岳に登る

NEO

先週の富山(とみさん)に続き、同じ南房総の伊予ケ岳に登ることにした(愛犬エルも一緒)


千葉県で唯一「岳」のつく山で、「山」ではなく「岳」なのは、峻立した岩峰を特徴とする山でそれだけ険しいということ
山頂に至るにはロープや鎖を手にして注意して登らなければならない


標高336mで登山道は整備されている
週末の天気を確認し、予定を組む(今回は山頂付近に鎖場があるので手袋を持参)


いつも通り8時到着を目指して自宅を出発し、途中のコンビニで朝食を買って登山口に至る


登山口にある平群天神社(へぐりてんじんじゃ)
無料駐車場はここにある

妻が安全を祈念している

片道1時間程度なのでゆっくり歩きたい

エルも楽しそう

楽勝だぜ

空気も美味い

たまに足もとが悪くなる

分かりやすい看板

高尾山や筑波山と違って登山者も少なく爽やかさ満点

写真ばかり撮る私

次第に道も細くなる

看板に従って歩く

こんなところも

あんなところも

だいぶ登ったね
見晴らしの良いところでスナップショット

先週登った山が向こうに見える

こんなところも

ハイキング気分はここまで
いったん休憩!

ここから先は難所、岩場、鎖場となる(危険!)

写真で見るより実際はかなりの傾斜

転落死亡事故もあったようだ

もちろんエルはおぶい紐で抱っこ

険しい傾斜、ロープなしでは登れない

万が一転落したらただでは済まないだろう

ようやく山頂到着!

最高の景色が待ってました

360度の絶景

山頂の景色にエルも陶酔する

下山も
楽しく

スタートから往復で2時間弱の丁度良い運動です

平群天神社参道にそびえる夫婦クスノキ
樹齢約千年言われる巨大樹

おまえはそれほど疲れてないはずだ

天狗伝説が面白い

その後、JR岩井駅近くの無料駐車場に車を停めて大ソテツを見に行く

途中にあった伏姫と犬士

さて今日のランチは山奥だ!

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夜逃げした結婚式の仲人

NEO

私たち夫婦が結婚したのは1991年(平成3年)のことだ
バブルの最末期で株価は既に頂点を極め、中東では多国籍軍がペルシャ湾を取り囲む危機を経て湾岸戦争が勃発した年だった


私が社会人になったのはそれより数年も前の話で、G5(当時)によるドル安を容認するプラザ合意によって円高が加速し「円高不況」と呼ばれた頃だった
「米国の双子の赤字」、「日米貿易摩擦」、「ジャパンバッシング」なる言葉がテレビやラジオで流される日々だった


その後日本は円高不況を乗り越えてバブル景気へと邁進していく


バブル時代の私はまだ20代の若僧で、何かと世の中は騒がしい、会社は儲かっているみたいだという感触はあったが、個人的にはバブルの恩恵などあるはずもない


当時は土曜日は普通に出勤日だったし、休みは日曜祝日のみ
毎日忙しく深夜まで残業して日曜祝日も忙しく出勤させられて、ひと月の残業時間が170時間を超えたこともある
(手取りの給料が残業代を含めて27万もあると喜んだ無邪気な私がいた)


24時間働けますか?」なんて言葉がCMに流れ、気の良い私は時の上司にも乗せられ、楽しく嬉々として会社に通いつめ、極めて安い給料で奴隷のように働かされた


繰り返すがバブルの恩恵など微塵も無かった


働く現場としては、毎日かなり忙しく、自動車部品の倉庫の管理をしていたため、言ってみれば肉体労働で日々2万~3万歩も歩くハードな仕事生活であった


更に、1985年の男女雇用機会均等法の成立により社内外で女性が相対的に強くなり、地味な女性よりも自己主張の強い派手な女性が際立つようになってきた
マハラジャジュリアナが流行ったのもこの頃だ



後に結婚式の仲人を依頼することになったWさんと知り合ったのは、バブル景気を迎える少し前だった


当時、私は自動車部品のルートセールスをしていて、Wさんはその配達先の中古車屋で修理工として働いていた
私より年上で、ざっくばらんで愛嬌もあり、商品を届けるといつも気やすく声をかけてくれた


バブル景気を迎えて世の中の経済状況が上向くと、Wさんは脱サラして自ら中古車業を始めた
社名は本人が好きだったアメリカのTVドラマのタイトルをそのまま付けた


当時私のいた会社の中にも会社を辞めて中古車会社を立ち上げる人が他にもいたので、うまくやれば儲かる業種だったのだろう


業績は良かったようだ
たまに私は遊びに顔を出していたが、綺麗な受付のお姉さんがいて、仕事も上手く回しているなあという印象だった


あるとき、飲みに行こうということになって付いていくと、スポーツクラブの支配人のような人も合流し、浦安、行徳あたりの女の子のいる店(パブ)を何軒かハシゴした


そして支払うときに目にしたのが、上着の内ポケットから札束を出し払っていた光景だ(まさにザ・バブル
若造の私はとても驚いた


1989年大納会、日経平均株価は最高値を更新したが、これが天井だと信じる者はいなかった
(若造の私には株など無縁の世界だったが・・・)


この年は日本にとっても世界にとっても変化の年であった
昭和天皇が崩御され元号は平成になり、消費税がスタートし参議院では自民が大敗しておたかさんが「山が動いた」などとうそぶき、美空ひばりさんが亡くなった
世界ではベルリンの壁が壊され冷戦終結、中国では天安門事件が起こった


翌1990年になり、先行指標である株価が前年高値を回復せずとも、日本社会はまだ浮かれていた


人手不足の企業はリクルートの学生らを歓待し、一線を越えてご馳走したり金を渡したりしたものだから、増長して入社したこの頃の社員連中にロクなのはいない


そして1991年を迎え日本経済の足取りは少しずつ変調していくが、浮かれた人たちに本質を見極める術などない


なぜなら日本はジャパン・アズ・ナンバーワンなのだ


そしてこの年、私はWさんに仲人を依頼し1991年3月につつがなく結婚式をあげた


しかし、私たちの結婚式披露宴をサポートしてくれたWさんにとっての仕事生活の終焉、迫りくる足音にすら本人自身も気付いていなかったのだ


それから数か月後


私は社内の異動で特販部品の営業となり、当時出回り始めたポケベルを持って外回りをする日々だったが、その頃からWさんからたびたび連絡が入るようになった


何にでも使えるカードがあるんだが買わないか?100万でOK!」といかにも胡散臭い


その後も繰り返し連絡が入り、「金を貸して欲しい」「いくら動かせる?」などとしつこい


仲人をしてくれた人でなければ無視するところ、思案して「10万なら」と伝えたところ、すぐに食いついてきた


「じゃ、今すぐ〇〇に来てくれ!30分で来れるだろ!」と一方的に言われて、しかたなく金を持って現場に行くとWさんは既に待っていた
そして金を渡すと、ものの数分でWさんはその場を離れ行ってしまった


以来、仲人Wさんとは会っていない
もう30年以上になるが、連絡もなく今に至る
住んでた家には一度様子を見に行ったが、誰も住んでいないようだった


お金は渡そうと思った時点で既に諦めていたが、仲人までしてくれた人が誰彼構わずターゲットにして奔走し、最後は行方をくらましてしまったという状況に、何だかひどく寂しいものを感じる


当時は金利も高く、ヤバい金に手を付けて逃げ回っていたのかも知れないが、貧すれば鈍するとはこのことで、Wさんは今頃どこで何をしているのだろうか?


生きているのなら「あの時は申し訳ないことをした」くらい言えばいいのに・・・
などと思ったりするが、そもそもそんな善人だったら金を持ち逃げしたりはしなかっただろう

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