NEOのゆとりを楽しむ生活

株式投資、英語学習、グルメ、旅行、愛犬とのシニア生活

病院3日連発

NEO

なんで病院には年寄りが大勢いるのか


老人の方が耐性がなく病弱だからともいえるが、基本的にはヒマだからだ
ヒマだから評判の良い病院、相性の良い病院なら、たとえどんなに混んでても何時間でも待っていられる


何時間も待つのは私には無理だが、たまたま3日連続で病院通いをした
多忙な勤め人なら病院へ行く時間を捻出するのも大変だ
私は自分の時間を自分の判断で好きなように使える身分になったので、自由気ままに病院通いもできる


まず、いつもの歯科医へ定期クリーニングへ
2か月に1度のクリーニングを勧められているが、これから毎月来ると副院長に告げた
数年前まで歯の検診もかねて毎月通っていたが、元に戻した形だ


同じビルの内科医のところにも毎月通い採血検査をしてもらっていたときもあったが、さすがに数値に変動が無さ過ぎて今では3か月に一度に変えてしまった
そもそも特別な持病もないし、病後観察でもないのに毎月の採血検査はやりすぎだったのだ


でも、歯の検診を兼ねたクリーニングなら毎月通っても悪くはあるまい
衛生士さんと与太話もして3270円



2日目は、脳神経外科でMRI検査を受けに行った


この脳神経外科では昨年、一昨年と過去2回MRI検査を受けている
母親が認知症と脳梗塞を患ったし、私も酒飲みなので念のため受けておこうと思っていたからである


これまでのMRI検査は自費診療であるが、比較的や安く2万円くらいで当日中の画像診断と診察をしてもらえる
私が少年時代の交通事故や脳挫傷の過去について話したところ、次回から保険診療にしてくれると言われていたのだ


MRI撮影前に問診
撮影後また説明・・・異常なし
保険診療で6800円



3日目は、整形外科
春から続いた40肩(50肩?60肩?)の治療とリハビリ
日常生活にはほとんど問題は無いが、一応炎症止めの注射を肩に打ってもらいリハビリルームへ
ロキソニン湿布薬をまたお願いして自宅の在庫にする
診察、注射、リハビリ、湿布薬すべて含めて3070円



以上すべて予約して行って、病院を出た後は近くの店で昼食


仕事に没頭するのも楽しいが、ヒマを有効活用するのも楽しい


すき家お気に入りの牛丼Wセットランチ650円(JAF割引で600円)


イタリアンレストランで食べたのはパスタセット1400円リンゴジュース付き


アジフライ定食1210円

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相場の動向と私のポジション

NEO

NYダウが史上最高値を更新
分かっていたことだが、来年の利下げを見込んで買いが優勢になってきている
来年にかけてさらに高みを目指し、連動して日本株も上伸するだろう


そう来年は円高、株高になるのだ


現在、個別株を60銘柄(数か月前まで80銘柄)も有すると、悪さをする銘柄も出て来る
殆どの銘柄は大なり小なり評価プラスになっているが、4~5銘柄がマイナスになってしまっている


一番マイナスの大きい銘柄は元金の2割程度のマイナスで、時代の流れからも買うべきではなかったと今なら思う


しかし、無借金で自己資本比率が70%を超え現金もあり、減配したとはいえ配当利回りが2.8%で、更にはPBRが0.45倍のプライム企業となれば、来年何かしてくれるんじゃないかという期待もありそのまま放置している


もうひとつが経営ミスにより赤字決算となり株価は暴落し、直近高値より5分の1にまでなっている(買値を安く拾ったものなので暴落した現在も2割程度の評価損で済んでいる)


「半値八掛け二割引き」どころではない暴落でもうじき上場来安値を更新するのではないかと見ているが、元金はせいぜい70万程度なので今はまだ注視している状況だ



私が相場の世界に入ったのは1996年のことで、当時勝ったり負けたりで馴らせばとんとんレベル


もともと博打やギャンブルが嫌いで、計算できない収入を当てにする性格でもなかったのでのめり込むようなことは一切なかった


大体、一般のサラリーマンが個別株の取引を積極的に行うのは無理があると思う
上記銘柄のように、赤字発表による長期低迷や全く予想のつかない値動きで翻弄されることが多く、まともに付き合っていたら心身ともに疲弊してしまう


まして生き馬の目を抜く市場で、他人を出し抜くなんてそう簡単にできるわけがない
出し抜こうと思って出し抜かれることなんてことも日常茶飯事


良い子はインデックス投資長期ほったらかしにするのがベストなのだ


かくいう私もインデックスファンドよりも1.5倍の個別株を保有してるので、来年央にかけて漸次減らしていく予定


欧米は来年の利下げが織り込まれ、日本は来年のゼロ金利解除が織り込まれている
利下げの背景にあるのは景気後退懸念であるが、だからと言って株価が下がるというわけではない


事実、現在の日米欧の株価は強く年初来を更新している


そして来年は更なる高値を更新すると、私は見ている
日経平均はバブル時高値を更新すると見る


何度も書いてるが、リスクイヤーは2025年となるはずだ


市場と関わっている以上、数年に一度の暴落と付き合っていかなければならないが、肝心なのはそういう場面でどう対応するか、そのための準備はどうしてるのか、ということである

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世に倦む若き日々の思い出(3)

NEO

若い頃、前門の朝鮮女、後門の意地悪婆さんと言う強烈なキャラクターに挟まれ、その他周辺の情緒?あふれる近隣住民に囲まれた環境で生活をしていた


全体的に子育て世代が多かった気がする
朝鮮家族にも小3の男の子と小6の女の子がいたし、意地悪婆さんにも小3の孫の男の子と園児の孫がいた


キッカケは忘れたが、夏休みの時期も相まって私は子供らと仲良くなって遊ぶようになった


小3の男の子や他の近所の少年らを連れてご飯に行ったり、うちに泊めて夜まで遊んだり、近くの空き地に捨て材を使ってテーブルを作り、少年たちに金を渡して買い物に行かせてからバーベキューをやったり、親世代の仲の悪さに関わらず子供たちは仲よく遊び、私は近所の人たちからいつの間にか「お兄さん」と呼ばれるようになっていた


朝鮮家族の小6の女の子には私が持っていた世界文学全集をタダであげたり、私が好きだったベートーベンを聴かせたりもした


あるとき、私が家の庭にいると、その女の子が目の前の道を行ったり来たりしている
どうした?と聞くと、近くのスーパーで万引きをしてしまった、親を呼んで来いと言われた、と言う


家族関係が非常に乱れていた状況で、精神的に屈する状態から万引きなどしたのだろう
親に話したら多分殴られると言うので、実兄に成りすまして一緒に謝りに行ったなんてこともあった


私は、朝鮮家族とも適当に付き合い誘われるまま海へ一緒に行ったこともあるが、意地悪婆さんとも適当に仲良くしていて昼食をご馳走になったりしていた


そのためか分断された地域のまるで救世主のように見られていたかも知れないが、私にそんな考えなどまるでなく、しがらみがなかったので自由にふるまっていたらたまたまそうなってしまっただけだった


あるいは、当時の私は精神的にはとても病んでいたが、世間ずれしたところも計算高いところも泥臭さもなく純粋だったので好感を持たれたのかも知れない
(つまらない人間だったと思うが?)


私は特に子供好きではなかったが、なぜかそのときは近所の子供たちが私の周りにまとわりつき、夏休みが終わっても学校や幼稚園のあとからみを求めて私の家にやって来て、その親たちもそれを奨励していた


しかし、私もアルバイトに精を出すようになり、自然と近所の子供たちとは疎遠となってしまった


しばらくして私は就職して仕事に没頭、数年後引越しをして土地を後にした


今から40年も前の話で、昭和50年代のことだった
今思うと私にとって夏の夜の夢のような日々であった

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世に倦む若き日々の思い出(2)

NEO

私が5歳の頃から19年間住んだ長屋の公営住宅には様々な住人がいた


うちは長屋の端っこだったが隣は市役所勤務の真面目そうな男の人とその母親で比較的マトモだったが、更にその隣に住んでいた何だか色気のある女の人は地元の小学校の校長先生と不倫し駆け落ちまでしてしまった


うちの裏手には個性強烈な意地悪婆さん(と表現するのがふさわしい感じの人だった)が息子家族と住んでいて、近所の同年代の婆さんらとつるんではいつも近所の人たちの噂話に口さがなかった


その体躯は小柄で小学3年の本人の孫よりも小さかったが、眼光は鋭く、強い性格で息子はいつも怯えておどおどしているように見えた


元麻雀屋で働いていたと言い、共産党の選挙カーが通るといつも手を振って応援していた




ある日の真昼間に、深夜の痴話喧嘩騒動を繰り返した在日朝鮮女とこの意地悪婆さんが取っ組み合いの喧嘩が勃発した


意地悪婆さんが深夜の痴話喧嘩をあげつらい朝鮮女を罵ったのが原因だった
朝鮮女は「この野郎」と叫び、婆さんに掴みかかったのだった


私は家の二階の窓からたまたま様子を見ていたのだが、互いに大怪我に至ることはなく最後は手を出した朝鮮女が意地悪婆さんに詫びを入れたようだった


そもそもその近隣では世代間ごとのグループが形成されていて、年代の近い者同士が仲良くグループを作っていた


婆さんは息子夫婦、孫二人と同居しており当時年齢は60歳くらいか?(今の60歳に比べるとずいぶん年寄り臭かったが)


在日朝鮮夫婦には小学生の子供が二人いて、深夜の喧嘩騒動を起こした割にはキムチ買収作戦が当たったからなのか、夫の女癖の悪さに同情されたためなのか、同世代の近隣女性の間にはうまく溶け込んでいた


他人の悪口に忙しい意地悪婆さんという共通の敵に対して同盟関係になっただけかもしれないが、自由奔放と言えば聞こえは良いが勝手気儘で傍若無人な朝鮮家族に近所の人たちは本音では不快感を持っていたのではないだろうか




私の家の隣に住んでいた役所勤めの男性の家は元々母親との二人暮らしだったが、その頃には結婚して元保母の妻と子供2人(幼稚園児)らと一緒に住んでいた


あるとき、近所の園児や児童ら同年代の子供を持つ親同士が集まって隣の家で夕食を食べていた
お酒も飲んだのであろう、朝鮮女は酔っぱらって庭先から役所勤め男性に向かって「〇〇さ~ん、愛してるよ~💛」と大声で繰り返し叫んでいた


当然隣に住む私の耳にも聞こえていたが、これも私には、いや多分周辺の人たちにとっては非日常的な衝撃シーンだった


そこには男性の奥さんもいたし、その小さな子供もいたし、自分の小学生の子供も目の前の家にいたにもかかわらず


そう、この朝鮮女はこういう奔放女で、年は40歳をすでに超え子供も二人いたが、露骨にこういう言葉を出すことを好んだ


実はその後、私も「デートしよう」と何度も繰り返し誘われて、私は嫌がって逃げ回っていたのを覚えている


(続く)

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世に倦む若き日々の思い出(1)

NEO

5歳の時に、私たち家族(父、母、兄、私)はある町の2DKの公営住宅に引っ越した
7~8世帯が続き住戸となっていて、コンクリート造の2階建ての長屋だった


一時期父の母親を引き取っていたが私が小4の頃に亡くなっている


結局19年も住むことになるのだが、その長屋の界隈には実に色々な種類の人々が住んでいた


そのとき私は20歳くらいだった


人生で一番楽しいときなどと言われるその頃に、私は高校を卒業はしたが大学へも行かず、周囲の誰とも会わず孤独で鬱屈として気の滅入る、まさに世に倦む日々を送っていたのだ


私は自分の人生で2度大きな失敗をしている(運命に翻弄されたというべきかも)
進学校で落ちこぼれ、真面目であるがゆえにもがき苦しみ、日々焦燥と悲憤の中無為な生活を続けていた


そんなある日のことだった



ある夏の夜、庭向こうの同じ長屋の住戸から30歳代と思われる女性が顔を大きく腫らして我が家に逃げ込んできたことがある


どうやら誰かに殴られたらしい
長屋の公営住宅なんて賃貸アパートと同じで住人の入れ替わりもあり、いちいちどんな人が住んでいるか気にもしていられない


私はその女性を見るのは初めてだった
結局、一晩泊めてやり朝になると女性は帰っていった


しばらくすると、深夜に同じ向かいの家で壮絶な男女の喧嘩の声がするようになった
よく見ると以前うちに逃げ込んできた女性ではなく、別の女がそこの住人の男と大喧嘩しているのだ
しかも女は刃物をもって男を追いかけている


深夜のことで衝撃的だった
まるで修羅場だ


こうした喧嘩が何度も深夜におこなわれ、翌日に当事者の女がひきつった顔をして近所にあいさつ回りをするのだった


しばらくするといつの間にか小学生の姉弟も住み付くようになった


どうやら顔を殴られうちに逃げ込んできた女性は住人の男の愛人で、その愛人を追い出して後から住み付いてきた女が正妻のようだった


ただ殴られた女性が、男に殴られたのか女に殴られたのかは分からない


まるでドラマのような劇的なシーンが毎晩繰り広げられ、そして痴話喧嘩の翌日には必ずその女はキムチ等朝鮮料理を配りながら近所を挨拶して回っていた


しばらくすると深夜の痴話喧嘩は鳴りを潜め、女は派手なチマチョゴリを着て近所を徘徊するようになる(在日朝鮮人だったのだ)


その登場シーンは衝撃的かつ壮絶だったが、その後のアピールも鮮烈で、こうした類の人たちをあまり見たことがなかった若い私にとっては、今でも強烈なエピソードとなっている


(続く)

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