
私は、もう日経新聞は読んでないんだけど、今は週刊東洋経済とプレジデント(月2回)を定期購読しています。
発売とともに郵送されて自宅に届き、取材記者によるテーマ別の経済情勢や進歩的な考え方を学ぶことができます。
東洋経済は現実的かつ唯物論的ですが、プレジデントは理念的かつ観念論的な内容が多く、どちらが良いかは目的や好みによるものでしょう。
私も、興味の持てる記事をいくつか見つけてしっかり読んでます。
今回、プレジデントを読んでると、キーエンスの社員掌握について「性弱説」という思考を使っている、という記事を見つけました。
「性弱説」という考え方については、私も以前、ブログで記事にしたことがあります。
あまり一般的ではない「性弱説」という言葉を使う人が私以外にいたとは!
と、少し驚いてAIに確認してみたところ、2018年頃に一橋大学名誉教授の伊丹敬之氏がそのように表現された本を出版したということでした。
しかしながら、「性弱説」という言葉については、もっと古くに使った人物を私は知っていました。
日本にヨガを広めたことで知られる沖正弘氏(1921年~1985年)のことで、それは今から46年前の1980年、私が高校生のときのことです。
当時彼は、ヨガを通じて難病患者を治すこともあり、「キリストの再来」などと言われることもあったのです。
私は、彼の宗教観・世界観に心酔していて、沖氏(導師と呼ばれていた)の発刊する「求道実行」を定期購読していた時期があり、三島の沖ヨガ道場で断食「修行」をしたこともあり、直接本人に会って話したこともあります。
その機関誌の中に、「人間の本姓は弱いもので、性弱説と言えます」という一文がありました。
以来、40数年経ちましたが、その言葉は私自身の経験を通して咀嚼され、今も強く心に残る言葉となっています。(具体的な経験としては機会があれば記事にしたいと思います)
また機関誌の別の記事には、「80歳、90歳になっても元気に暮らすために・・」などと言う内容もあり、私は「きっとこの人は健康長寿を全うされるんだな」などと自然に思っていたものです。(1980年頃のことです)
ところが、沖氏は1985年イタリアで客死してしまいました。
60代前半の死は「あっけなさ」すら感じるものでした。
私は、彼の死を知った当時の自身の心理状態をよく覚えてません。
きっとカラマーゾフの兄弟のアレクセイ・カラマーゾフ(アリョーシャ)が心酔するゾシマ長老が死んだときに腐臭がしてきたことで大きく意気消沈した時のような感覚だったんじゃないか、という気がします。